父親と母親の関係が、穏やかなものに変わり。
いつも、ひりひりするような憤りや緊張を持って過ごしてきた娘としては、なんとも言い難い。

奇蹟のようで有り難いことだけど、その奥底に「老い」がよけいに見えてきて、それは、他の誰にも見えないのに私にだけ見えるモノでもあるような妖怪のような気配のような。


「老い」というのは、すごいものだなあ。
と、腰がひけそうになる。

二人の老いのカタチは、あざなえる縄のように、変わっていく。
昨日見えなかったモノが、今日見える。
今日見えなかったモノが、きっと明日見えてくる。



母親の足をマッサージしたり、父親に筋トレと称する簡単な体操をしたり。
そうやって、老いたカラダに触れられることは、幸せなことなのだ、と思う。思いたい。

生きとし生ける者の、だれでもが通る道の覚悟が、少しずつ少しずつ胸の奥にたまる。

そうだ、そうだね、こうして人は長い道を行くんだね。


「果てなく続く道に 両手ひろげたたずむ 
 闘うことを忘れた 臆病な魂」

「ローズ」という歌に、勝手につけた詞だけど、この言葉どおり、私は臆病なんかじゃない、と自分に言い聞かせる。


きちんといろんなものと対し、きちんと言葉を発し、きちんと怖れることなく、道を進もう。

やっぱり、歌は、ちょっとでも私を助けてくれるんだなあ。
と、つらつら思う雨交じりの土曜の空。