母親の文庫本たちを片付けていると。
時代小説とサスペンスしかないはずが、一冊ひょっこり出てきた本があった。

「父・丹羽文雄 介護の日々」
これ、たしか娘さんが書いたもので、話題になったなあ。
と、持ち帰り読み始める。

ダンディーで有名な作家の父親と、それを支えた母親の介護の日々。
二通りの痴呆(その頃は、まだこういう言い方だった)に向き合う娘さん。
娘さんといっても、夫も子供もいる家庭人。


もう20年以上も前のものだった。

その本の中では、何も終わっていない。
ご両親は、まだ存命で、スサマジイ日々は、続いていることが、後書きでもわかる。

それからいったい、どうなったんだっけ。
と、よそのプライバシーに立ち入るような居心地の悪さを感じながらウィキを開くと。

丹羽さんは100才まで生きた。
そして、娘さんの桂子さんは亡くなっていた。
アル中も患ったという桂子さんは、本を書くことで元気を取り戻したらしいが、65才で急逝していた。

残された親の介護は孫にゆだねられた。というのだが、そのあたりでもう、こちらの胸が苦しくなってきた。


お風呂に入っても、胸が苦しい。
ずっと桂子さんのことを考える。

ちょっと前に、私がいなくなったらどうすると、なんだか急に焦って自筆の簡単な遺言書を書いたことを思い出した。

挿入されている写真の桂子さんの、太陽のような明るさと美しさと、そこに写されていない闇を思った。
どんなに深い闇だったのだろう。

ニンゲンがニンゲンを生み、育て、関わること。
それは、ものすごく残酷なものでもあることを思った。
長生きが当たり前になればなるほど、光だけではない、闇も深くなることを、また思った。
もしかしたら、知らずに済むことをたくさん知らねばならない、そのことを思った。

闇は深くなる。
でも、だから、光を求める。
光に向かって歩く。
そのことも思った。



それにしても、こういう本、母親が買って読んだとは思えないのだが。
いやいや、わからんな。人は。