大河ドラマは、ほとんど見ない。
特にナニナニのナニベエとかナニザエモンとかいう名前の人が多く出るものは、苦手だ。
アタマが、はなから拒否する。
まったく覚えられない。

なので、とうぜん「麒麟がくる」も見なかった。
ところが、なにをどうしたか、最終回だけ見て見ようか、と思った。

ずっと見ておられる方々からしたら噴飯ものだ。

この脚本家なら、光秀の最期をどう描くのか、興味があった。
案の定、余韻をもたせた美しいものだった。



私の中で戦国大河ドラマは「太閤記」で終わっている。
無名の俳優たちが星のように登場した。
秀吉の緒形拳、信長の高橋幸治、光秀の佐藤慶。
この三人の顔に、毎回どれだけ心躍らせたことか。
土曜の再放送もふくめて、きっちり全部見た。
そして感動した。

オーケストラの音に感動したのも、これが最初だった。
テーマ曲をN響が奏で、外山雄三という指揮者の名前を覚え、その音の響き厚さは、子供を狂喜乱舞させた。

調べると放送は1965年。
そうか東京オリンピックの翌年か。
私、11歳か。感無量。



で。
ちと思うのですが、大河ドラマも朝の連ドラも、今は無名の俳優が主人公で出てこない。
あ、この人ね、この人ね、って予想がつく人ばかり。
特に朝ドラなんか、新人女優の登竜門だったはずなのに。
安定感は増すけど、だんだんに育っていくのを見守る視聴者参加感、ドキュメント感が薄れる。




そういえば。
「麒麟がくる」の長谷川博己さんて、「セカンドバージン」ていうドラマで新人として登場し、鈴木京香さんの相手役として濃厚ラブシーンしてた。
これは衝撃だった。
誰この人、な感じが良かった。


また「誰この人」を熱望しますです、私。