考えてみた。
私は歌い手だけど、いったいいつまで唄えるのか。

コンサートやライブなど。
来てくださるお客さまも、決して若くない。

一日一年、歳はとるけど、若くはならない。
てえことは。

どうしたってお客さまは減る。


で。このコロナ状況。
ここでの時間の「ロス」は、けっこうに大きいだろう。

私だって、もうよぼよほしてきた。
親も歳を取り、自分も歳をとる。
ああ、無情である。


そうだなあ、確かに絶滅危惧種みたいだなあ私、と思う。
でも、もし唄えていて、ライブするのに、気持ちの良いお店があればいいなあ。
いわゆるシャンソニエといわれるようなライブハウスはいいなあ。


たとえば。
銀座にある「蛙たち」。
ここでは何回もお世話になった。
二階なので階段はあるが、木製なので足に優しい。

でも、どうやら、コロナでの経営は大変らしい。
銀座で広さがあり、従業員もいれば、一日6万などでとうていまかなえるものではないだろう。

それに比べ、知人が一人で経営する小さなバーなど、趣味でやってるような、人っ子一人こないような店だったせいもあり、今はコロナバブルらしい。
同じ銀座と言ってもさまざま。

それが東京でも地方でも一律。
この理不尽も思えばすごい。
すべて税金なのもすごい。
いや、あのマスクだって、GOTOだって、みんな税金なのもすごい。


なんていって憤慨しててもしょうがない。

とにかく、これから細々と、でも、生きててよかった、ねえ皆さんという歌を、なんとか歌っていきたい。
ココロの手を取り合えるような歌を、なんとか唄っていきたい。


ゆうべ、風呂場で、ふふふと発声練習をし、それから、いろんなことごとを大きな口をあけて、しゃべってみた。
有島武郎という人は、なになにで、その息子は俳優の森雅之で、尾道を舞台にした作品はたくさんあって、東京物語の出演者は誰々で、長岡輝子さんは赤いドレスで宮沢賢治の朗読をして。
そんなふうに、まったくとりとめないことを思い出して口にする。声にする。

思い出せないことは、あとで調べる。


これだけでも、アタマが生き生きした。
よし、これで、まだ唄えるぞ、生きるぞ。

そう確信した私であります。
コロナなんかに負けてたまるか。