父親の血液検査結果を聞きに行く。
やはり、数値が高い。
歳も歳だし、手術はせず、投薬のカタチになるだろうとの医者の説明。
とりあえずMRIしましょう。
その承諾書に書き込みを初め。
日付のとこで、また手が止まった。
令和とある。
あ、また元号が出た。
私は、これ苦手だ。
昭和までは良かった。
昭和に25を足せば西暦。
これでなんとか世界のこととツナガレル感じがしていた。
それが平成になって。
それからすべて西暦で書くことにした。
でないともう対処できそうになくなった。
そして令和。
ますます、むずかしくなった。
区役所などの申請書でも、銀行の書面でも、令和とある。
そのたび、今って令和何年ですかと聞いてしまう。
2020はいつもそこにいるのに、令和二年は遠い。
もちろん、元号が悪いわけではない。
日本の美しい継承文化だ。
でも、それを全部に、特に公的なものに使うのはどうなんだろう。
めったにしない通帳記入をしてみたら、18とか25とか30とかあって、それが平成のことを表していると気づいて今さらに驚いた。
ところが、次は1とか2とか。今度は令和。
銀行みたいな場所で、これはないんじゃないのかなあと思う。
特に元号の変わり際だと、もっと混乱する。
31は1なのね。みたいなことを考えないといかん。
オモシロいのは、銀行によって違ったこと。
みずほ銀行が「これから西暦で記載します」となったこと。
えらい!みずほ!
で。今日のMRI。
父親の保険証を取りだして見ると、資格取得年月日が平成20年4月1日とある。
一瞬で何年前か実感できない。
西暦にしてよ。こんなの。
計算しやすくしてよ。
と、アタマのそうそう回らなくなってきた前期高齢者は焦り、思うのであります。
ハンコも止めようという、スムーズなグローバル化の進む時代。
世界中とつながりやすくするために、いや、何より「わかりやすく」するために。
公的なものは西暦にしてくださいますよう、どうかお願いしますです。
やはり、数値が高い。
歳も歳だし、手術はせず、投薬のカタチになるだろうとの医者の説明。
とりあえずMRIしましょう。
その承諾書に書き込みを初め。
日付のとこで、また手が止まった。
令和とある。
あ、また元号が出た。
私は、これ苦手だ。
昭和までは良かった。
昭和に25を足せば西暦。
これでなんとか世界のこととツナガレル感じがしていた。
それが平成になって。
それからすべて西暦で書くことにした。
でないともう対処できそうになくなった。
そして令和。
ますます、むずかしくなった。
区役所などの申請書でも、銀行の書面でも、令和とある。
そのたび、今って令和何年ですかと聞いてしまう。
2020はいつもそこにいるのに、令和二年は遠い。
もちろん、元号が悪いわけではない。
日本の美しい継承文化だ。
でも、それを全部に、特に公的なものに使うのはどうなんだろう。
めったにしない通帳記入をしてみたら、18とか25とか30とかあって、それが平成のことを表していると気づいて今さらに驚いた。
ところが、次は1とか2とか。今度は令和。
銀行みたいな場所で、これはないんじゃないのかなあと思う。
特に元号の変わり際だと、もっと混乱する。
31は1なのね。みたいなことを考えないといかん。
オモシロいのは、銀行によって違ったこと。
みずほ銀行が「これから西暦で記載します」となったこと。
えらい!みずほ!
で。今日のMRI。
父親の保険証を取りだして見ると、資格取得年月日が平成20年4月1日とある。
一瞬で何年前か実感できない。
西暦にしてよ。こんなの。
計算しやすくしてよ。
と、アタマのそうそう回らなくなってきた前期高齢者は焦り、思うのであります。
ハンコも止めようという、スムーズなグローバル化の進む時代。
世界中とつながりやすくするために、いや、何より「わかりやすく」するために。
公的なものは西暦にしてくださいますよう、どうかお願いしますです。