こんなに暑いと天を呪いたくなる。
でも。
昨夜、何気なく新聞を読んでいたら。
今はおじいさんになった、その頃13歳の少年の記事が。


母ちゃん行ってくるね、と風呂に行ったのが母親とのお別れになった。
空襲の焼夷弾で街は焼かれ、かろうじて髪が少し残った母親の亡骸が、ぽんぽんと死体用の穴に放り投げられるのを、ショックでぼうと涙も出ず見ていた。

終戦後半年で父親はチフスで死に、親戚に預けられるも、なんでお前を食わせんといかんのかと責められ、そこを飛び出し浮浪児に。

闇市で悪いこともしながらやっと生きていく中、保護寮に巡り合う。
そこで、皮膚病だらけの自分のカラダを洗ってくれた、寮長さんに助けられ、やっと人の道を歩き出す。

その頃にはもう両目が見えなくなっていたので、マッサージの道に進み、今は、銀閣寺のそばの住宅街で店を営む88歳。


これを読んでいて、涙がつつつつと落ちた。

街の、そして日本のゴミのような扱いをされた戦災孤児の人たちのことを思った。
親を失くし、子供のまま生きていかねばならなかった人たちのことを思った。


今でも、上野の地下道を歩くと、そこをネグラにしていた多くの子供たちが浮かぶ。
今、生き延びていれば、みんなおじいさんおばあさん。

つつつつ。
涙は夜更けに流れ、そうだ、こんな暑さくらいで文句いってたら罰が当たるわい、と思うものの。

やはり暑い。ううう。

すみません。私、ヘタっております。
ナサケナイありさまではありますが。
でも、あなたたちのことを忘れたりはしません。

忘れるものですか。