舞台に通っている間に、いろいろな方が亡くなっていた。
その中のお一人。弘田三枝子さん。

私の子供時代は弘田さんと、中尾ミエさんと、森山加代子さんの歌声からはじまった。といってもいい。

原っぱだらけの昭和の子供たちの、勢いだけはあるその背中を、弘田さんの「パンチ」は、ぐいぐいと後押しした。

パンチ。って言葉がいつできて、なじんだのかはわからない。
でも弘田さんの、ちょっとこもった、うなりにも似た、そしてそこから炸裂するリズムと歌声はまさしく「パンチ」だった。


アスパラで生きぬこおおお。
というCMが世の中に流れ。

そうこうするうち、私たちが思春期になったころ。

弘田さんは別人になって登場した。
もうフランス人形だった。

そして。食べ物にはすべからくカロリーと言うものがあることも知った。
「ミコのカロリーブック」は、私たち女子のバイブルとなり、痩せれば、みんなフランス人形みたいになれると誤解した。



昨夜。
弘田さんの追悼番組をbSで見ていた。
後年の映像が多く、パンチいっぱいのミコちゃん時代ものは少ない。
(その頃の映像は、そんなには残ってはいないのだろう)


もしも私が死んだらあなた

ではじまる歌が流れた。
「人形の家」の大ヒットのあとの「私が死んだら」。

顔もみたくないほど嫌われた女が、もし私が死んだら可愛い女だと思って、と唄う。

いったい、どんだけメンドクサイ女なのだ、と歌詞を見れば思うけど、作品の素晴らしさで、そんなねちゃねちゃした自己愛が、完全に昇華されている。

あなたのうしろから 歩いて行けなくて 
胸が痛む私だけれど

この最後の繰り返しにきた途端、ぞわっとした。
この歌が大好きだったことを思い出した。
いつもここで中学生の太った私は、フランス人形のようなミコちゃんになって唄っていた。
死と美はかんたんに結びついて、子供ながら陶酔してた。


また唄った。
風呂場で唄った。
シャワーを浴びながら唄った。

ああ、なんていい歌なんだ。

今の時代には、作られも受け入れられもしない歌かもしれないけど、私には色褪せない名曲だ。


だって、泣けるもん。
風呂場で泣けるもん。
一人で。


弘田さん。
数回、舞台袖でお会いし、ご挨拶しました。
蝶のようなかたでした。
さざめく風に、その細い羽根を懸命にたたもうとする蝶のような。


ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。