ブラック・ライブズ・マター。
(カタカナで書くのがなんともはや)
その程度の英語力の私が、今の時代のキーワードがわからない。
黒人の命、まではわかる。
それがなんで「黒人の命も大切だ」になるのか。
マターをスマホで調べると、普通にマター。
事柄、物件みたいなことだ。
で。
いいかげんではあるけど英語が喋れるスタッフツヅラに聞いたみたら。
「そうなんです、私もずっとわからなかったんです」
やっぱりいい加減なやっちゃ。
そして。
さっきメールが来た。
もっときちんとした人に聞いてくれたらしい。
マターは動詞もあった。
だから、ダズントマターで、気にするな。(これまたカタカナ!)
そうかそうだったか。
英語の辞書を引っ張り出してひいてみると。
ちゃんと動詞が載ってる。
ああ、やっぱり辞書ひかなきゃダメじゃん。
と、深く反省。
何でもお手軽にしているツケはこういうところに回ってくる。
昨日。
録画していた「映像の世紀プレミアム」を見た。
今回は、オリンピックをテーマにしたもの。
1964年東京オリンピックの次はメキシコだった。
そこで、陸上短距離で金と銀をとったアメリカの黒人選手が、表彰台で黒い手袋を、掲げた。
星条旗があがり、国家が流れる間、片手に黒い手袋で突きあげる拳。
その時のことは覚えている。
アメリカってタイヘンなとこなんだなあ、と日本の子供も思った。
一生懸命国のためだといってメダルとっても、帰れば、また屈辱の毎日。
その抗議だった黒い手袋の二人だったけど。
この行動のせいで、帰国してからの人生は、さらに過酷なものになった。
そんなこと覚悟のうえとはいえ、その過酷さ苛酷さは、想像もできない。
そして、番組で知った驚くこともう一つ。
それが、同じ表彰台に乗ったオーストラリアの白人選手。
銅メダルの彼が、この黒人選手に同意して、胸に同じ抗議のワッペンだかをしたのだった。
それが、この人の運命も悲惨なものにする。
彼のこの人種を超えた正義や愛は、一生報われることはなかったという。
「いなかった」選手にされてしまったのだ。
見ていて、もう胸が苦しくてしかたない。
それでも、すごいのは、この誰もが、自分のしたことを取り消さなかったことだ。過ちだった、ごめんなさいなんて言わなかったことだ。
そりゃあ、ニンゲンだもの、いろんなことは思ったに違いない。
それでも、この白人選手の葬儀の時、彼の眠る棺をかついだのは、この黒人選手二人だった。
ずっと友だちであり続けた。すっと同志であり続けたこと。
そのことに、胸が打たれて、ああ、なんて人たちなんだとおもう。
ニンゲンは弱い。
だけど、強い。
でも、私にできるかこんなこと。
こんな問いは、いつも投げかけてきたものだけど、今もってまったく自信がない。
だから、せめて。
ずっと見続ける。
思いを寄せる。
誰かが誰かを差別していいことなど、ない。
ぜったい、ない。
どんな理由も、ない。
そのことを、胸に置く。
生きる指針にする。
迷う人生の羅針盤の、動かぬ針にする。