ヒトラーは演説の巧みな人だった。

それは計算されつくされたものだったらしく、人々の高揚感を高める、高めていく「やりかた」を熟知していた。

 

でも、きっと、それは持って生まれた彼自身の「才能」でもあったのだろう。

声に声を重ねる、というか、聞いている人を酔わせていく術は、勉強したからといって誰でもできるものでもないだろう。

 

 

選挙演説を聞く機会はある。

その時、ふと耳を傾けてしまう、通り過ぎる足を止めてしまう、というのは、たいていよく声の通る、はっきりとしたモノ言いの、力強いものだった。

 

同じことを言うのに、この順序で、こういうふうに、というのはやはり技術で、これに長けた人のものは、オモシロイ。

 

 

そこへいくと。

宇都宮けんじさん。

今度の東京都知事に立候補されたかた。

 

ホームレスや闇金被害者などを助けてきた弁護士さん。

地味だからねえ、とよく評される。

 

このかたの演説をネットで見た。

声を張り上げるでもない、小さなボクトツとした姿で、選挙カーに乗っている。

 

コロナ不況で、焼身自殺したトンカツやさんの話になって。

自身で油をかぶり、そこに火をつけたらしいという話になって、声がなくなってしまった。

声がつまってしまったのだ。

 

それが、作為的でももちろんなく、きっとこれまで彼が見てきたもの、関わってきた人たち、救おうとして救えなかった人、そんな様々な人たちが、彼の頭をよぎったのだろうなあと思えた。

 

 

見ている私は、胸がつまった。

 

宇都宮さんに投票するかどうかは、わからない。

他の、切れ味いい候補たちを見ていると、宇都宮さんの地味さが際立って、この人が、もっと演説の術をもっていたらと思ってしまう。

 

でも、それが、ほんとに良いことかどうか、わからない。

言葉の表現の巧みなことが、良いことかどうか、わからない。

よく通る声、人をそらせない話し方、それは、とてもオモシロイけど、それだけで良いのかどうか、わからない。

 

わからなくなってしまった。