誰か、どこかのエライ人が言っていた。
歳をとってイヤなのは、昔のことを思い出すことだと。
夜中の二時過ぎに目が覚めた。
それから眠れなくなった。
子供の頃、静岡の藤枝というところに転校して。
その小学校の頃の友だちの顔が、浮かんできた。
顔や、出来事や、廊下の木の色や、ガラス窓や、そこから覗き込んでる私たち子供の顔や。
いろんなもんが浮かんできた。
そんで、名前を思い出してみた。
顔を思い出してから、名前を思い出す。
驚いたことに、次々と思い出す。
フルネームで、あるいは、姓か名のどちらかか。
なんでこんなに思い出すんだろう。
私、もう死んじゃうのかなあ。
急にアタマが良くなったのかなあ。
(いや、その危惧はなかった。朝、起きてみると、カラダはとりあえず動くし、アタマも元のように錆びつき始めている。)
夜中に現れた木の校舎や、行き帰りの田んぼ道や、雨の匂いや、砂利道の音、思い出したい先生、思い出したくない先生、そして友だち。
夢と現の境界がだんだんぼやけて、朝方また眠った。
すべてが、まるで夜中の劇場か映画のように、開かれ、そして閉じた。
人生はやはり「短い夢」のようなもの、なのかもしれないなあ。と思った。
これからどんな風に生きようか、生きられるのか。
コロナのおかげで、自問自答の時間が増えたせいか。
そして。
どうせ「短い夢」なのだから、好きなように生きたいと思うようになった。
任を果たし、でも、好きなように。
これが、何よりムズカシイのだけどなあ。