先だって亡くなったシャンソン歌手の高木椋太さん。
椋太さんが、今年一月に開いたコンサートのプログラムを見る機会がありました。
実物ではなく、ネットを通してですが、その文章が、いわゆるプログラム用の挨拶とは思えない。
それほど、深く深く心にしみわたりました。
記憶のまま要約すると。
自分はいろんなことを知らなかった。戦争のことも。(とここで様々事例をあげて)
そして、自分はシャンソンのことも知らなかったのだ。(とここでも様々な想いを)
これって要約ですか、と思われるほどの短さですがお許しください。
つまりのところ、ご自身の来し方行く末を、椋太さんはわかりやすく丁寧な文章で書かれていたのです。
知らない。
そんなことはないのです。
彼はいろんなことを知っていたし、あれこれ考えながら唄い生きてこられた。
なのに、「知らなかった」と言う。
そして私も思ったのです。
ああ、私も知らない。
知ってる気がするけど、ほんとは知らない。
何も知らない。
椋ちゃんの言葉たちが、それからずっと私の胸に残り、それが生きるための歯車の一つになった気がします。
今、生きているこの世の中のことを、ちゃんと知ろう。
知ろうとしよう。
そして考えよう。
それを言葉にもしよう。
枝で自由に鳴く椋鳥のように、歌を唄おう。生きていこう。
椋ちゃんの言葉は、私たちへの勇気ある遺言のようだなあ、と今また思います。