はじめてキジバトを見たのは、もう五年くらい前のこと。
私の部屋のベランダにちょこんととまっていた。
あれなに?
と、思うと同時に「キジバト」という名前がすらっと浮かんだ。
それまでの人生でキジバトと言う名前を口から出したことはなかったし、鳥の名前はカラスとハトとスズメとヒヨとメジロくらいしか日常で使うことはなかった。
それが、この大ぶりなハトを見た時、あ、キジバト!と思った。
それからはキジバトは「キジバトちゃん」になった。
普通のハトより頭が小さく、羽根がキジのようにキレイ。
そして群れずに、一羽でいて、なんだかとてもドンくさい。
こんなにドンくさいと、他のハトにもバカにされるだろうし、カラスや猫という抜け目のないやつらもいる。
ちゃんと生き抜けるんだろうか、キジバトちゃん。
それからのキジバトちゃんは、いたりいなかったりで、ああ、もうどっかで食われちゃったんだろうなと思う頃、ひょひょひょとその辺を歩いていたりした。
それも二羽だったりもして。
お、夫婦になってたんだ。
とすっかりうれしくなる。
が、またどこかへ行ってしまう。
ここらにもキジバトちゃんいたよ。
と母親が知らせてくれたのは、昨年秋あたり。
あれ、電線にとまってる。
やはり不器用にとまってる。
でも、こうしてあちこちで、おんなじかどうかはわからないけど、キジバトちゃんは生きていた。
今年に入って。
親の家の窓から電線を見るとキジバトちゃんが二羽いた。
おおお、無事だったか。
と喜んでいると、一羽がひょいと一羽に乗っかった。
え、こんなとこで。
キジバトちゃんたちは一緒にバタバタすると、また離れて、さっさと飛んでった。
これで、どうやら次のキジバトちゃんも生まれるのだなあ。
やるじゃん、キジバト!!
で。
昨日。
自転車を駐車させようと、親の家の玄関前に入ると。
とととと何かが歩いた。
ドンくさいその生き物は、キジバトちゃんだった。
父親が水まきをした、湿った鉢植えの間を縫って、キジバトちゃんはとととと歩いている。
つつつつと何かをついばんでいる。
キジバトちゃん、よく来たね、と言いそうになってやめた。
静かに静かに、そのままに。
でも私のココロは、もううっきうきで、そうだ、写真撮ろうとスマホを探し、忍び足で戻ったら、もうそこにキジバトちゃんはいなかった。
また来てね、キジバトちゃん。
生き物の気配だけで、こうして人は楽しい。
おなじ星でおなじ空気を吸っている生き物同士、こうして互いの気配を感じながら生きる。
そのことがとても楽しい。うれしい。
キジバトちゃん、今度は「コキジバト」ちゃんも連れてきてね。
コキジバトちゃん、まだ卵かなあ。