ライスカレー。

カレーライスのことだけど、昔には、このライスカレーという言い方もされていた。

 

このことを、連ドラの「スカーレット」で思い出した。

このところ、何回か、この「ライスカレー」が出てくるのだ。

 

 

ライスカレーには思い出がある。

 

おそらく池袋の西武デパートだったろう。そこの大食堂で。

父親がライスカレーを頼んだ。

 

そうして、テーブルで待っていると、ご飯だけが運ばれてきた。

 

ええええっ。

と、一同(といっても三人)驚き。

よおおく見ると、食券はライスだけ。

 

その頃はニンゲンが食券を販売していたので、ライスカレーのライスだけ聞き取ってしまったということだ。

 

まさかそんな。

ご飯だけ食べるなんて思ってたのかなあ。

やっぱりカレーライスっていわなきゃダメだなあ。

と、大笑いしたのだった。

 

 

このことは、わが家の珍事件だったので、忘れることができない。

と、思っていた。

(その後、このことで何回も大笑いしたし)

 

ところが、昨日、ちょうど「スカーレット」を見ながら昼ご飯を食べていたので、言い出してみた。

「ねえねえ、あれオモシロかったねえ」

「・・・・・」

二人はキョトンとしている。

なんのことかわからんらしい。

 

 

耳も遠いし、目も悪い。

でも、記憶自体がなくなっているとは。

まさか、まさかそんなことが。

 

と、ざわつくココロを抑えながら、そのあたりの他の想い出も聞いてみた。

 

私のちっちゃい頃。単身赴任で静岡の工場建設に行っていた父親が、いつもハガキをくれたこと。

それには残してきた私たち母娘を思う言葉が書かれていたこと。

そして、帰ってくるときには必ずアップルパイをワンホール買ってきてくれたこと。

それがどんなにうれしいことだったかということ。

 

 

このいわば「宝石」のような家族の想い出のことを、聞いてみた。

 

そうしたら、ぜんぶ忘れていた。

 

ぜんぶ。

 

 

ハガキもアップルパイもライスカレーも。

みいいんな、どこかへ消えていた。

きれいに消えていた。

 

なんか静かな気持ちになった。

とっても静かな気持ちになった。

 

 

そうか、これが老いるということだ。

これが人間なのだ。

 

 

もう、悲しくなんかないぞ。と思った。

哀しんだり寂しがったりしないぞと思った。

 

いっそいさぎいいじゃないか。

なんでもかんでも忘れちゃうなんて。

 

 

でも。

私には、この想い出たち、他にもたくさんの宝石たちがあるから、今こうして家族として、両親の世話をしているのだなあ。

このなんともいえない矛盾。

 

 

これもまた、人間。そして人生。

 

想い出っていうのは、想いが出る、ってことだもんなあ。

出なくなることはあるのだ。

 

想い出って、いつか涸れる泉か蜃気楼にも似ているんだなあ。

しょうがないや。と思った。