雨とみぞれと雪のまじったような。
まあ、寒い土曜日。
そんな中、サントリーホールの小ホール「ブルーローズ」に行く。
いつもなんだかんだとお世話になっている残間さんが主宰される「クラブウィルビー」。
その合唱団の発表会にお招きいただいたのだ。
昨年、「最後だとわかっていたなら」を、皆さんのコーラスとご一緒して、これを発表会でも唄ってくださるとのこと。
ありがたい。
総勢80名くらいにもなるだろうか。
男性も増えて、皆さんが生き生きと唄っておられる。
私の歌は「広い河の岸辺」以外は、あまり合唱向きではなく、それでもご一緒してくださるお気持ちには、ただ感謝しかない。
声を合わせるのは、気持ちがいい。
背中に声の重なりを感じながら唄うのは、気持ちがいい。
勇気が出る。
客席からは、ときどきちっちゃなお子さんの声がする。
よく見ると、ちっちゃなお子さんも、もうちょっと大きなお子さんもいる。
その隣で、若いお父さんがにこにこされている。
家族。そう家族だ。
壇上で唄う、おじいさまかおばあさまの歌を聴きに来られているのだなあ。
合唱団の方々は、そういう家族をお持ちなのだなあ。
幸せの一つのカタチが見えた。
私には永久にないカタチ。
なんかいいなあ。
でもまあ、幸せのカタチはいくらでもある。
人からは不幸せのカタチに見えても、それが幸せのカタチということもある。
帰り、近所のファミレスで、お茶をするつもりがビールを飲んだ。
ついでにワインも飲んだ。
帰って部屋でテレビをつけながら新聞片手に、どろんどろんと居眠りをした。
あ、いかんいかん、と目を開ける自分が、まったくオッサンみたいだ。
でも、まあこれも幸せのカタチかもしれんと思うことにした。