昨夜。
途中といっても、かなり後半から「紅白歌合戦」を見る。
CG技術を駆使した映像には、驚いた。
NHKホールの観客席が突然冬の暗い海になったりする。
雲がたなびいたりする。
おおお。すごいものだなあと感心する。
デジタル技術で、見えないものが見える。
そういうものを使った歌などは、ほおおおと目を丸くするけど、ちゃちゃんと終わってしまうと、目が覚める。夢から醒めたように、あるいは、作り上げた人工の光に、太陽が乱入したような。
そんな「覚めちゃった」感がある。
そういうあれこれを見ていて、行き着いたのが、唄う人の「意志」がすべてに勝るということだった。
その人が、そこでその歌を唄う、唄いたい、唄わねばならぬ、というような意志。
そういう意味で、胸をうたれたのが氷川さんとMISIAさんだった。
氷川さんは、氷川さんが、ずいぶん前初めて「大トリ」をされた時のことを思い出した。
北島さんとか五木さんとかの演歌の大御所たちに「よくやった」というような祝福をされて、歌い終わった緊張から解き放たれた時の笑顔。
昨日の氷川さんの歌の終わりに笑顔はなかった。
彼自身の生き方の「宣言」ともいえる、その重さに、見ているこちらも胸が熱くなった。
そして、MISIAさんの立つ後ろにはレインボーフラッグがはためき、ドラアグクイーンたちが踊り、「星屑スキャット」のミッツさんがカメラにウィンクした。
ジェンダーレス、性を超えていく覚悟。
都会なら馴染みのある、こうした事々を、紅白という場で、この国の隅々に届けようとする歌。
おそらく、ぜんぜんわからなかった人も多いに違いない。
いや、わからなかった人のほうが多かったに違いない。
でも、どこまでも力強く響くMISIAさんの歌声は、ニンゲンの宣言のように聞こえた。
そうして、最後の「嵐」のまわりで踊る人たちは、多様な人種。
そうか、こういうことだったか。
今回の紅白は、こういうことだったか。
「紅白」じゃない、「紅白」なんて分けられない。
だれもみんな分けられない。
どんな壁にも分けられないのがニンゲンだ。
だから「紅白じゃない歌合戦」。
これが、大きなテーマだったのだ。と勝手に解釈して納得した。
で、そんなふうに感動したものだから、ついでに紅白の投票まで参加した。
テレビのリモコンで誰でも参加できるなんて、こりゃまたスゴイ時代だねえ、ちょっと前には野鳥の会の人までいたよ、と思い返し。
そうして、こうして新年になりました。
あけましておめでとうございます。
今年、これから。
たとえどんな状態でも、その時々の覚悟を持って唄っていこうと思います。
どうか皆さま、今年もご愛顧くださいませ。