父親が硬膜下血腫で入院手術してから、そろそろ一年。
今でも、アタマのヘコンでるところを触っては、これなんだろうと不思議そうに尋ねる。時々尋ねる。
そのたびに。
転んで、血がたまって、そこに穴開けて血を抜いたんだよ。タイヘンだったんだよ。
というが、やっぱり不思議そうだ。
あの坂で歩いてるうちに転んだんだよなあ。
と、実際転んだときとは別の話に替わっている。
父さんが転んだのは、スーパーに行ったときだよ。
アタマから血が出てたよ。
という説明も、もうしなくていいなあと思うようになった。
このところ、父も母もそれぞれに耳が、より遠くなってきていて、これでよく二人で意思疎通ができるなあと思う。
でも、そばで聞いてると、聞こえなくてもいい、いや、聞こえないほうがいい発言も多いので、これはこれで神さまの采配だと思うことにした。
最近、母親は、テレビドラマの筋を、勝手に解釈するようになっている。
ぜんぜん違う話になっている。
これも耳のせいだろうが、母親にはプライドがあるので、違う違うよそれ、と訂正したり説明することはしないようにしている。
補聴器も考えたけど、これはこれで扱いがむずかしい。
父親に、今そんなものを渡したらきっとパニックになる。
なんにも変わらない日常。これが彼にとって一番。
実際はゆらゆらがったんごっとんと揺れている日常だけど、それを変ってないことのように見せるのが娘の役割りかなあと思うようになった。
揺れながらもうまく暮らしたい。それこそ船中のように。
この頃、私が帰るとき、いつも二人で見送ってくれるようになった。
角を曲がるとき、遠くに二つの手のひらが見える。
私もひらひらと手を振る。
また、明日ね。
手のひらで言いあう。