帰宅し、宅配ボックスを見ると。

おっきなダンボール箱が。

 

でか。

 

こんなもん頼んだかなあ。

と思いめぐらし、浄水器カートリッジのことと、このアマゾンでは時々こんなふうにデカいダンボール箱で届くことの両方を思い出した。

 

開いてみると、紙がいっぱい。

これまで、底のほうにフィルムで固定されていることが多かったけど、今回はそのまま、紙たちの中で底に収まっている。

 

しかしなあ。

と、その紙たちを一枚一枚広げて畳んで、それから、でかい箱をこれまた解体して畳んで、そうして翌日の資源ごみ用に整理してるうち。

これでいいの?

 

と思いはじめた。

 

せいぜい12センチ四方くらいの荷物にこんな包装ってありなの?

過剰包装ってこういうことじゃないの?

 

取りだされた小さい箱と、そこで出た大量の廃棄物を見ながら、思わず、写真を撮ってツイッターにあげた。

 

 

その返信の中で、こういうサイトがあります、と教えてくださるかたがいて、そこを開くと。

アマゾンの包装についてのあれこれが。

 

つまり、いろんな種類の箱を用意はしていない。働く人がなんの考えもなく、つまりそこで立ち止まることなく、さっさと入れられる箱になっている。

(だから大きな箱に小さな荷物なんてことは当たり前ってことだ)

 

そして、同じ種類の箱でないと、トラックに積むとききちんと詰められないのだ。効率が悪いのだ。

とまあ、こういったことらしい。

 

それでも、この過剰包装については、どうやらいろんな苦情が来ていることがなんとなくわかる文面ではあった。

 

 

ふううううんん。

 

全然納得できないけど、なんだか事の次第が見えてきた。

そして、アマゾンで働く人たちの苦悩も、その向こうに透けて見えてきた。

 

考えてなんかいちゃあいけない、注文が入ったら、ばったばったとひたすら荷造りするのだ。

荷を積み込む人も、運転する人も、なにも考えちゃいけないのだ。

 

 

送る相手のことも、地球のことも。

そんなこと考えて立ち止まっちゃいかんのだ。

 

さすがアマゾン。アメリカ大資本。

 

 

アマゾンには、いつもお世話になっている。

飲料水など、重いものは申し訳なくて、何度も配達の人にお礼を言う。

こうして、このネット通販には、どれだけ助けれているか知れない。

 

でも、アマゾン直配とでもいおうか、アマゾンと書かれた箱で送られてくるものには、時々こうして「これってどうなの」なことがある。

これってどうなの、というより、これってもう無理じゃあないか、というか。

ニンゲンがやってることとして、どっかが破たんするんじゃないだろうか的な危機感というか。怖れというか。

 

効率がすべてのアメリカ的価値観が、もうこれからの時代には考え直さないといけないんじゃないか。というか。

 

 

それこそ、どっかで誰かが立ち止まって、深く考えてほしいものだと。

そうしないと、いつか生き残れなくなるのではないかと。

 

それはアマゾンという会社だけのことではなく、人類の問題だなあと。

 

とまあ、そんなことを思ったわけです。