若い頃。

声優の三ツ矢さんに誘われてアルバイトをした。

 

大手のアニメーション学校の声優科で音楽の授業をしないか、というものだった。

 

いやあ、あたし音大出てないし教えられることなんてないよ。と腰が引けたが、結局引き受けることになった。

 

こんな私が先生になるなんて。

やっぱり世の中がまだまだバブルだったのだ。

 

 

音楽教育の何かしらも知らない私の授業は、予想通りの訳のわからなさ。

でも、そんな私を「クミコ先生」と慕ってくれる生徒も多く、人徳も業績もないのに、なんとまあラッキーだったことか。

 

 

私はそれまでアニメーションというものを、ディズニーでしか知らず、日本のものをほとんど見たことがなかった。

 

でも、教員室みたいなところで、アニメ制作に関わる方たちとご一緒すると、そのタイヘンな制作現場のことを漏れ聞いた。

 

とにかく寝られない。

休めない。

早死にしてしまう。

 

そんな悲惨な話をよく聞いた。

 

 

ディズニーのような「なめらか」な動きにするには原画が死にそうなほど必要になること。

そして、今はそういう動きではないもののほうに、子供たちが慣れてしまったので、どちらがいいとか悪いとかはいえないこと。

本当は、もっと滑らかにしたいと思うけど、どうにも人出がないこと。

海外にも外注してやっとしのいでいること。

 

 

そうかあ、そんなにタイヘンな世界なのだなあ。

アニメーターという人たちの生きる場所は。

 

 

 

朝ドラ「なつぞら」の夜を徹しての制作シーンを見るたび、その時の話を思い出した。

疲れ切っても、書き続けるアニメーターの人たちのことを思い出した。

 

主人公のなつさんにはモデルがいるという。

やはり奥原さんという女性で、いつもおしゃれをして仕事をして、そしてもう十二年も前に亡くなってしまっていた。

 

先駆者、開拓者は、どの世界にもいる。

誇りたい人たちはどこにもいる。

 

 

このドラマを放送しているときに、あの「京アニ」事件が起きた。

それを思うと苦しい。

悔しく、苦しい。

 

 

でも。

今も一枚一枚、どこかで絵ができあがってる。

次のシーンへと、そのまた次の動きへと、一枚の絵がつながっていく。

 

そう。

途切れることなんてない。

ぜったい、ない。

 

 

ちなみに。

そのアニメ学校の声優科はその後、あっさりなくなってしまいました。

・・・・・。