NHKホールでの「パリ祭」。
驚いたことに、割り当てられた楽屋番号が一番。
つまり、歌謡界だと北島さんとか五木さんとか、そういった大御所が入られる部屋。
まさか。私が。
どうして。
これまでこんなことはなかった。
菅原さんとか、登紀子さんとか、あるいは、亡くなった戸川さんとか、もう大先輩の方々がご一緒だと、私はせいぜい四番くらいの部屋。
昨年もたしかそのあたりだったと思う。
どうして、どうして。
とプログラムを懸命に見直す。
考えられのが。
シャンソン育ちというか、シャンソンをフィールドにしている年齢的にもちょうどいいのが私ということだ。
そうはいっても、これまでナンチャッテシャンソン歌手と自称してきた私が「パリ祭」でトリを取る日がくるとは、思ってもみなかった。
緊張する。
でも、「赤い風船」という、一般的に馴染みのない歌を、なるべくわかりやすいと思われる形で唄う。
私の思う主人公の心情を、手や振りを使って、お伝えする。
どうやら、これはなんとなくうまくいったようで、終わると、大役を終えた気になった。
今年の「パリ祭」はアズナブールをテーマにしたもので、華やかで明るくて、でも美しく染み入る歌の数々。
モニター画面を見ていると、今の時代に、こうしてシャンソンという歌を愛する人たちの思いがじんじんと伝わってくる。
フィナーレ。毎回皆で唄う「パリ祭」という歌。
「絹糸のような あの粉糠雨(こぬかあめ)に」
なんて綺麗な言葉なんだろう。
今さらに、そんな言葉を唇に乗せられる幸せを思って、目が潤んだ。
簡単な打ち上げ会場で。
銀巴里の大先輩の仲マサコさんとお話する。
あたしももう82歳になっちゃったのよお。
でも、まだまだ唄いたい歌があるのよねえ。
困っちゃうわねえ。
年齢相応のカラダの不調と添いながら、でも、仲さんは、こうして歌と生きておられる。
だって19だったのよ、あたし、銀巴里で唄いはじめたの。
もう長いこと唄ってるのよねえ。
その仲さんのピアフの名曲「私の神さま」は神々しく、歌はいくつになっても、いや、歳を重ねることでしか生まれない光をたたえていた。
それはまったく神さまからの贈り物のように思えた。
若いことだけがすべてじゃない。
早く歳とってあんな歌唄えるようになりたい。
そうだ。歳を重ねることで損なわれることを思うのでなく、得られるものを思おう。
一生懸命生きて、神さまからの贈り物を受けられるようがんばろう。
こうして。
ここ数日の、私にしてはけっこうにハードな日々がひと段落しました。
昨日のビールとワインは美味しゅうございました。