テレビを見ながら昼食をとっていると。
永さんの顔が出てきた。
「サラメシ」の再放送の、亡くなった有名人コーナーだ。
あの人も昼飯を食べた。
というような中井貴一さんのナレーションに乗せて、「ドリーム」というスタンダードソングが流れる。
このコーナーにくると、それまでハジけていた中井さんの声が、ぐっと落ちついて「悼む」という気持ちが溢れてくる。
誰の回でも感動する。
生きて食す、生前のその人の姿が重なって、胸が熱くなる。
昨日は、永さんの写真を見た時から、ざわざわした。
年のころは50代だろうか。
一番活動的で、一番コワかったころの永さん。
そして、彼の愛した昼飯として紹介されたのが、中華の卵どんぶりとでもいうようなシンプルな一品だった。
目玉焼き(片目)の形を整えて、それに甘酢のような調味料をかけ、ご飯に乗せるという、これまで紹介された中でも、一番シンプル。
ちっちゃなどんぶりに卵がのった、それだけのものが、永さんの写真の前に置かれる。
その瞬間、うっと泣きそうになった。
そこに親がいなかったら、ごうごうと泣いていたかもしれない。
「永さんのお昼ご飯てなんだった?」と聞く母親に。
「ほら、これだけだよ、永さんは江戸っ子だからねえ」
そう言った自分の言葉に泣きそうになる自分に驚いた。
嗚咽をかろうじて押しとどめた。
永さんは大食漢だった。
カラダも大きく、美味しいものが大好きだった。
でも、食にこだわることはなかった。
お酒も飲まないので、さっさと食べてさっさと帰る。
番組で紹介された店主が。
「わけへだてのない人でした」
そうだった。
愛想がいいわけでもない、ただ、若いうちから有名で顔も知られている。
そんな永さんは、誰に対しても同じ態度の人だった。
嫌いな人には、そういう顔、好きな人にはそういう顔。
相手が社会的にエライ人でもそうでない人でも、同じ。
エバル人が大嫌い。
理不尽が大嫌い。
とかく「力」のある人にこびへつらいがちなニンゲンには、対極にある人だった。
そんなこんなが、どどどとこみあげてきた。
永さんが亡くなった時も、泣かなかった。
寂しかったけど泣かなかった。
しょうがないよなあ、と思う自分がいた。
はじめて昨日泣いた。
理不尽がまかり通る世の中になって、ちっちゃい卵一つが乗ったどんぶりを思い出して、一人になって泣いた。
永さん、ありがとうございました。
がんばって唄っていきます。