仕事帰りの電車内で。

 

え。これあり。な風景を見てしまった。

 

けっこうに混んできた車内の座席に、背の高い男性が座っている。

彼は、スマホを手にしながら何やら機嫌よく話している。

 

彼はいったい誰と話しているんだろう。

と、乗客の背中越しに見ると。

 

あれま。

彼の前に女性がいる。

それも、小さな女性。

彼女に向けてしゃべってる。

 

これってなに。

 

まさか、彼はどこかカラダの具合でも悪いの。

と見ても、そんな風情はいっさいなし。

明るくぺらぺらしゃっべってる。

 

 

その前に立つ女の子。

 

彼女に座れない理由でもあるんだろうか。

そんなバカな。

 

 

しょうもない男だ。と結論づけた。

たとえ、どっか悪くたって、こんな女の子を座らせないなんて。

そりゃ、男がすたるぜ。

 

なんて言っても、「男がすたる」なんて言葉、知らんだろうなあ。

 

 

 

そういえば。

こんな経験、私にもあった。

 

大学の頃。

付き合っていた男が、さっさと座ってしまったのだ。

 

連れの私のことなど関知せず。

もし私が男だったら、ありえない展開。

 

何回かそんなことがあって、とうとうその男に言った。

 

「なんでさっさと自分が座れるの?」

 

 

確か、その男は、え、意味わからんという顔をしたはずだ。

そして、そんな「つまならい」ことを気にするようじゃニンゲンとしていかがなものか、なんて言ったはずだ。

 

「女一人幸せにできないニンゲンが、人類を幸せになんかできないよ」

別れるとき、私はその男に、たしかそんなことを言ったはずだ。

 

 

(それは、彼が政治学をやっていて、つねにそんな話題をしていたからだ。より良い世界とは、とか、よりよい政治とか、まあ、そんなこと)

 

 

別に自分が女だからどうとか、そういうことじゃない。

自分より大変だろうな、弱いだろうな、と思う相手には、ちょっとでも楽をさせたい。

そう思うのは、自然な感情だろう。

 

理屈じゃなくて、感情だろう。

 

 

 

こんな男とは、つきあっちゃいかんよ。

と、別につきあってもいないかもしれないのに、立ってる女の子に心でつぶやいた。

 

やっぱり私はおせっかいおばちゃんだ。