令和になって、先ほど難しい名前の儀式の映像をライブで見て。

なんだか神聖な気持ちになってしまった。

 

靴音だけが響く無言の儀式というものは、見たことがない。

 

三種の神器とされるものも、誰も見たことがない、見てはいけないものだという。

だから、ほんとのところ何がどう入っているのか、誰も知らないということになる。

 

ここで、もしこれを運ぶ人が粗相でもして落っことしてしまって、そんなことはありえないけど、中身が少しでも見えてしまったらどうなるのだろう。

そんなバカなことさえ思う。

そんなバカげたことを思わせるくらい、張りつめた儀式だった。

 

 

新しい天皇陛下は、じつに立派だった。

目が静かだった。

 

これまでこの日のために費やされた帝王学の時間と、雅子さまと愛子さまという家族との、並々ならなかっただろう日々が、この人をこんなふうに静かで動じない目の人にしたのだろうなあと思えた。

 

 

昨日の前天皇皇后陛下のお姿は、もう感涙ものだった。

そして明らかにわかったことがあった。

 

この陛下は、美智子さまという伴侶を得て、闘い続けてきたのだなあということ。このお二人は同志なのだなあということ。

 

皇室という、選んで生まれてきたのではない場所。じゃあ、誰か代わりやってよともいえない、終身制のカゴの鳥のような場所。

そこで、できうる人生の最善を尽くす。

お互いがお互いを支え、おそらくたくさんのお話をして、このお二人は、自分たちにしかできない道を切り拓かれていったのだなあ。

 

どんなにか茨の道だったろう。

誰かを責めることもできない、その中で、ただただ静かに静かに、自分たちの思う人生を送る。闘いとる。

 

お見事でした。

 

その道筋を見てきた今の天皇陛下。

雅子さまが、したたかに、でも上手に、これからの人生を送ることができればいいなあと思う。

決して悲劇の皇后、などと後から言われることのない、闘う皇后であってほしいなあと思う。

 

静かにしたたかに。

皇后の日々を送られますよう。

 

 

 

で。昨日は、藤澤ノリマサさんのコンサートにもうかがった。

同じ列に中村中ちゃんと由紀さんも。

まさに、先だっての「中島みゆきリスペクトライブ」仲間。

 

ノリちゃんは、立派だった。

36歳でここまで立派なことに感動して、自身の36歳の時を思い出した。

そして、比べることもない、人はそれぞれだしさと64歳になった私が思った。

 

平成最後に、良い歌が聴けて良かった。

 

 

令和かあ。

まだまだピンとこないけどなあ。