現金書留。
これ、もう何十年もやったことない。
記憶がなくなるくらい、やっていない。
そうだった、こういうのあったなあと、昔会った人に再会したような気持ちになる。
母親が「チエちゃん」と呼ぶ、水戸に住む友だちが亡くなった。
友だちといっても、時たま電話をし合うくらいで、それでも、子供のころから娘時代を経て、その間に戦争もあって。
そのチエちゃんは、私がテレビに出るようになると喜んでくれて、母親に電話をかけてきたらしい。
自分の親には、仕事のことは言わない親不孝の私に替わって、母親はチエちゃんから情報を得ていたらしい。
東京と水戸、歳を重ね、会えることもほとんどなく、電話だけ。
そこで、チエちゃんのご主人の介護のこととか、ご自身の病のこととか、そんな話をこの二人の女性はしあっていたのだった。
「チエちゃん、ぜんぜん電話つながんないの」
去年あたりから、母親がそういい出した。
「どうしたのかしらねえ、どっかホームにでもはいっちゃったのかしらねえ」
どうせ年寄りの話だからと、私は聞き流していた。
そりゃあ、90才になる老人のことだもの、変わらない生活ってことはありえないでしょ。それは、私の家を見ればわかる。
ちょっと前。
母親が沈んだ顔をしている。
「チエちゃん死んじゃってた」
そのことに、正直そう驚きもしなかった。
やっぱり。そうか。
向かいあたりに住む姪御さんが、母親に連絡してくれたという。
お花代でも送らなきゃ。そう母親がつぶやく。
「でも、私、そういうのどうしていいかわかんないのよねえ」
なんだか声が弱い。
大丈夫だよ、現金書留で送ろう。
こっちにお札入れて、こっちとこっちを貼って、そんでここに印鑑押して、で、こっちを貼って。
と、ものすごく懐かしい作業をする。
「友だちってチエちゃんだけだったから。人見知りだから、私は」
弱い声がする。
え。手が止まりそうになる。
こういう「真ん中」の話って、母親から聞くの初めてだ。
自身の弱さを、きほん、見せない人だ。
気の毒に、なんて思われることが絶対嫌な人だ。
母親の喪失感にやっと気づいた。
平気なふりしてたけど、その喪失感のボディブローは、じょじょに母親に入り込んでいる。
「もうさあ、あっちがわにたくさん行っちゃったからさあ、母さんも向うへ行っても楽しいよ、きっと!」
明るく言ってみると。
「いやあよお、まだ行きたくないわよお」
あ、まだダイジョウブだな。
それでも、母親はちょっと変わった。
視線の向こうに、これまで入っていなかったものが入っている気がする。
それを、私は、ちょっとした優しさや静けさのように感じる。
これも、また人の栄枯盛衰なのだろうなあ。と思う。
人の老いと別れと。
これまで見たこともない景色が、これから待っているのだろう、と覚悟した。
愛おしくツラい景色に、覚悟した。