歌い手にとって「声」は命だ。

ときに、「年齢」が命のように思われるけれど、やっぱり声が命なのだろう。

 

私のように、需要の少ない歌い手人生をやってきた者ならともかく、若い頃から、それこそ少年少女のころから表舞台で唄ってこられた歌い手の方々のタイヘンさは、容易に想像できる。

 

 

だから、ある年齢になって声が出なくなったり、いわゆる「売れたころの声」を失くされたり、その他、いろいろなトラブルは他人事ではなく、どんなにつらいことだろうと思う。

 

 

それと反対に、年齢を重ねても、声を保つ方々もおられる。

 

そういうかたとご一緒すると背筋が伸びる。

 

 

「あなたもタイヘンねえ、ご両親のこと」と、楽屋にご挨拶に伺うと由紀さんがおっしゃる。

 

そんなことまでご存じとはと恐縮しながら。

「いつまで歌い手ができるかわかりませんが」などと、ちょっと弱音を吐くと。

 

「歌の中、唄う時には、いろんなこと忘れられちゃうから」と、励ましてくださった。

 

 

 

由紀さんの声は変わらない。

これまでずいぶんとご一緒してきたが、その発声の丁寧さや、歌と声への向き合い方、技術力など、学ぶことが多い。

 

 

昨日も、ああなるほど、ここでこういう具合に地声とファルセット(裏声)の使い分けをされるのだなあ、うまいものだなあ、と感心していた。

 

女性の場合、地声と裏声の分かれ目が、はっきりわかる人とわからない人といる。

(前者の筆頭はもちろん美空ひばりさん)

 

由紀さんの裏声にかわる瞬間は、じつに気持ちがいい。

ひろびろとした草原に飛び出した気持ちになる。

 

そうして、この裏声をたくみに使うことが、声を守ることになる。

 

昔、声帯障害で医者にかかったとき、地声で張っていたらすぐに声なんてやられちゃうよと言われた。

 

 

若い頃で、声を守ることなんて思いもよらなかった。

ただただがむしゃらに大声を上げていた。

 

唄いにくいと思えば、もっと唄って出すようにする。

そんな繰り返しで、声帯に結節ができた。

 

 

 

確かその頃、新聞記事で、由紀さんのことが載っていた。

ちょっとでも、声に違和感があれば、病院に行くのですという記事。

 

驚いた。

ベテランの大歌手のかたでも、そんなに気を遣うものなのだ。

 

いや、そんなに気を遣うべきものが声なのだ。

 

 

 

私自身は、結局二回も手術をした。

思いのまま、その時の思いのまま、いろんなシガラミから解き放たれ自由に奔放に唄うのだ。ココロはロックさ。なんていきがっていて、あげく声を壊した。

声なんか気にしてどうする、歌はココロだ、なんて叫んで唄って、声は壊れた。

 

 

 

やっぱり声ですなあ。

と、今は思う。

 

失敗ばかりしてきたので、身に染みる。

 

 

 

ゴールは思っていたより向うにあるらしい。

すぐそこにあるんじゃなくて、ずっとずっとむこう。

 

だから、まだまだ声がちゃんと出るように、自分なりのゴールにたどりつけるよう唄って行こうと思う。

 

丁寧に丁寧に。

考え考え。

一歩一歩。

 

地道に地味に。

 

ゴールインは遠い。遥かに遠い。