母親がニュースを見ていて突然。

大震災で亡くなった人の数字を見ていて。

 

「東京大空襲じゃ、一晩で十万人死んじゃったのよね」

 

確かに。

 

1945年、昭和20年。3月10日未明。

下町一帯を襲った空襲。

 

地獄があるとすれば、これがまさに。

 

この出来事は映画や本や、いろんな作品になっているので、追体験しているように見聞きしてきた。

戦争中とはいえ、なんでこんなふうに焼き殺されなくちゃいかんのだろう。

 

そうして、この計画をアメリカ軍が周到に準備していたことを知ると、また怒りがふつふつと湧いた。

 

どの程度の爆弾で、どこを狙って、どういうふうに落とせば一番効率的に人を死なせることができるか。

つまり、逃げる道筋をきちんと遮断して、より少ない爆弾でよりたくさんの人を殺せるか。

 

そうして、十万人が朝を迎えることなく亡くなった。

 

 

 

 

3月の10日と11日。

東京大空襲と東日本大震災。

 

とんでもない出来事が、こんなに近い。

 

自然災害と戦争という違いはあるけど、どちらも多くの人の命を奪った。

なんでこんなこと。と無念の魂たちは納得できずにこの世を去った。

 

 

 

時々、自転車に乗っていて車道に出る。

歩道のほうが安心するけど、人が混んでいると車道に出る。

 

大きな道路なので緊張する。

びゅううんと、横をすり抜ける車にハッとすることもある。

 

 

で。ふと思う。

自分が宙を飛ぶ姿を思う。

 

そんなこと見たことないけど、空がくるくると回って、それから自分がいなくなる、意識が消える。

 

事故ってもしかしたらこういうことなのかなあと、自転車を漕ぎながら思う。

 

 

でも、これって納得できないなあと思う。

魂が納得できないなあと思う。

その「突然」にきっと私の魂は迷うなあと思う。

 

 

怪談でもホラーでもない、そういう迷う魂のことは、よく聞く。

カラダはなくなっても、魂はきっと残るんだろう。

置いてきぼりになった魂を思うと、胸が塞ぐ。

 

納得できない魂は悲しい。寂しい。

 

だから、そうした魂のために祈るしかない。

 

見えないけど、世の中に溢れる、いろんな無念の魂のために祈るしかない。

 

 

祈りは、特別の日のものじゃない。

いつも心の底に持つものなんだろう。

 

それが、カラダを持った私のできることなんだろう。と思った。