同じように、老親を持つ一人娘の人と話をしていて。

 

 

娘だからね。

親のことを一生懸命するのは当然だからね。

それはそりゃあちゃんとするよ。

 

でもね。

 

 

と彼女は続ける。

 

 

私、友達にならないと思うの。

母親なんて特に。

こういう人と友達にならないと思う。

もし親じゃなきゃ関わることもないと思う。

 

 

 

それって、すごくよくわかるなあ。と思った。

 

 

親と子は深いつながりを持っている。

そこには愛情という絶対的な架け橋がある。

なんて思いがちだけど、実際はそんなことばかりではない。

そんなの幻想だよと思うこともある。

 

 

 

親は親。子は子。

 

どっちもただのニンゲン。一人一人。

 

 

だから、時々爆発する。

 

たまたま親と子であるために、生じるいろんな出来事。

その理不尽さに、地団駄を踏む。

 

 

こんなやつと友達になんかなれないよ。

でも付き合わなきゃならないよ。一生。

 

 

こうして、時々、爆発する。

 

でも、まあまあと自分をなだめる。

 

 

 

敵はもう老人なのだ。

そう自分に言い聞かせる。

 

でも、爆発の火がなかなか収まらないこともある。

 

 

そういう時、私ってなんて親不孝なんだろうとか、なんて愛のないニンゲンなんだろうとか。

そんなこと思って自分を責めるのはヤメた。

 

 

兄弟は他人のはじまり、って言葉もあるけど、親子も他人のはじまり。

他人。つまり誰でも一人一人の個性と価値観と人生観を持つニンゲンなのだ。

違って当たり前。

成長すればするほど、歳を重ねれば重ねるほど。

違ってくるのは当たり前。

 

まあ、そういうことだなあ。

 

 

と、自分に言い聞かせる日曜の朝であります。