ちょっとしたモノが消える。

さっきまで手に持ってたリモコンが消える。

 

んなバカな。

と探し回って、あんまり見つからないと、これはもうどっかの次元にまぎれて消えたのではないかと本気で思う。

そう思ったころ、え、こんなとこにと思うとこで見つかる。

 

次は、自分のアタマの老化だと思うようになる。

そこに行き着く。

これが一番正しい気がしてくる。

でも、哀しい。

 

 

私のたった一つの机というかテーブルは、そこで食事もするし、こうやってパソコンも打ってるし、化粧もするわ、手紙もかくわ、新聞も読むわで、思えばごちゃごちゃして当たり前でもある。

 

 

ちっちゃなリモコンなど、どっかに紛れても不思議はない。

 

 

ぎえええ。と時々爆発して、整理してみるけど、数時間で元通りになる。

 

今も、見えるだけで、洗濯クリップとマニュキュアと三口コンセントとマジックが同居している。

 

 

こんな中で何かを探すほうが、よほどアタマを使う。

 

そう思うことにした。

これはアタマの体操だ。

 

 

人は不思議なもので、ごちゃごちゃが好きだ。

 

それは例えば。

人気のある雑貨店などでもわかる。

 

雑貨の向こうに本が並んでたりすると、ココロが躍る。

おもちゃと皮財布とドライヤーなんかが、ごろごろ並んでると、やっぱりワクワクする。

 

これは人の習性なのか。

 

 

いやいや、そんな店、マッピラという人もいるだろうけど。

家の近くの薬局の盛衰を思うと、やっぱり人はごちゃごちゃが好きなんだろうと思う。

 

この薬局は、まあなんとも乱雑なモノの置き方をしていて、棚がレジから隠れてしまう場所もあるし、どこに目当ての商品があるのか、毎回探したりもした。

 

小さな店だけど、人が絶えることがなかった。

 

それが改装した。

すっきりと、レジからなんでもわかるよう、どこにどういった商品があるのか、整理されキレイになった。

 

そうしたら、客がいなくなった。

 

私も、なんだか足が遠のいた。

 

 

ごちゃごちゃは、見つけにくい。

でも、それが楽しい。

 

目当てを見つけてる間に、違うものに気を取られる。

へえ、こんなのあるんだとかいってるうち、何を探しに来たのか忘れる。

 

そんなことが楽しい。

 

 

自分と商品の間がぐるぐるぐると曲線になるのは楽しい。

直線で、きっちりするのは楽しくない。

 

このぐるぐる曲線こそ、人が人である証拠なんだと思う。

回り道や道草を楽しいうれしいと思えることが、生きてる醍醐味なんだと思う。

 

 

でも。

 

やっぱりリモコンが、すぐに消えるのは楽しくない。

 

リモコン立て使うか。

でも、リモコン立てに毎回立てられるくらいだったら、なくならないんだよなあ。

 

スマホみたいに、GPS検索ができてほしいなあ。

リモコンがびいびい鳴ったら助かるなあ。

など、つらつら思う朝であります。