食事の支度で台所に立っていると。

天皇陛下のインタビューの声が聞こえてきた。

 

ところどころ声が詰まる陛下の声。

 

こちらも、もうだぼだぼ涙がこぼれてくる。

 

 

戦争の苦しみ、災害の苦しみ、そこで傷ついた人へのいたわり。

そして、美智子さまへのねぎらいと国民への感謝。

 

 

このかたが、これまでこれほど感情を出すまいとしながら出されたしまったことはなかったと思う。

 

 

 

淡々と、粛々と。

おのれの責務、それも生まれた時から決められた責務をまっとうする、せねばならない。

 

 

それがどんなに大きく大変なことか。

想像を超えている。想像なんかとてもできない。

 

 

その中で、なんとか自分のありようを国民に示された天皇陛下だった。

 

 

私はこのかたが大好きだ。

もちろん、美智子皇后も大好きだ。

 

 

「皇室は祈りです」と、言われた美智子さまの、そこまでの道のりを思えば、また涙が出る。

 

 

 

ご自分たちの生き方、有り様を、限られた中で懸命に示されたこと。

例えば、育児や、慰霊の旅や、退位のこと。

それを私たちは、そうだねえそうだねえと、うなずいて歓迎したけれど、世の中にはそうでない人もいることを知った。

 

 

先だって、夜、皇居あたりをタクシーで通ると。

そこに、街宣車のような車が止まっていた。

それには大書されたメッセージが掲げられている。

 

次の天皇も今とおんなじ反日的なものであれば、この国は亡ぶ。

許せない。

というような内容だった。

 

胸が凍りついた。

 

時代は明らかに変わった。

訳がわからないほど変わった。

 

 

 

穏やかな自分の家庭を持つまでは死ねないと、いわれたという若き日の天皇陛下。

そして、その言葉を、これまで読んだどんな小説より寂しい言葉だと心を震わせられたという美智子さま。

 

 

ああ、良かったねえ、良かったねえ、最高の伴侶を得られて。

と、私なんかはただただ隣組のおばちゃんみたいに涙にくれる。

 

今は、お二人の、これからの穏やかで静かな愛に包まれた暮らしを願うのみだ。

 

 

その時間が、一日でも長く長く続きますように。

 

これも祈り。