てくてく歩いて中野サンプラザに行く。
仕事場がサンプラだとうれしい。
家にいたままの格好で出かける。
これがうれしい。
楽屋に入ると、隣の席が西島さんだった。
モニターテレビから「池上線」が聞こえてくる。
今年、この歌を唄ったことがあった。
西島さんは、私と同世代なので、キュンとするところが似ている。
もうすっかり堂々とした中高年だけど、うろうろとはかない女の子だったことを思い出させてくれる。
そんな切ない歌詞が並んでいる。
やはり名曲だ。
私はといえば。
この日は、「ラ・ボエーム」を唄った。
アズナブールに捧げるという意味合いもあったけど、実はこの歌、苦手だった。
なんでか。
まず歌詞の最初にモンマルトルが出てくる。
ついでアパルトマン、リラと続く。
いかにもパリ、シャンソンな感じがする。
こういうのが、何より苦手だった。
ここらあたりが、やはりナンチャッテシャンソン歌手なのだ。
出自は争えない。
それでも、仕事は仕事。
一生懸命練習する。
三番の歌詞の「君の胸や腰の線を書いては消して」というところ。
ここで銀巴里の大先輩は、腰を落とし、さささと筆をとりカンバスに向かう仕草をされていた。
ええ、それってなんかさあ、なんて笑ってた愚かしい若い自分を思い出した。
この歌を心底愛し慈しむ人たちに、あまりに失礼なことだった。
歌詞の多いシャンソンを唄う時、気を付けたいのは、言葉を後ろ後ろにずらせていかないことだ。
リズムを食うぐらいの気持ちを持たないと、だらだらとした歌になる。
そうして気持ちだけが入れ込み過ぎて、感情過多な歌になる。
あまりに感傷的になる。
これは、日本でシャンソンを唄う時に陥りやすい過ちだと思う。
音楽は音楽。
リズムはきちんと守っていきたい。
で。
「ラ・ボエーム」。
やっぱりムズカシイ。
アズナブールの自作自演を見ながら、ただただため息をつく。
しかし。
アズナブールって、若い時「こそ泥」みたいな顔だったのに、歳を重ねるとともに、ものすごく洗練されてカッコよくなった。
これだ、こうでなくちゃ。
若い時なんか目じゃないよ、といわれるよう、一生懸命生きようっと。
若いは苦いに似てる。
苦い日々を過ぎて、ホントの素敵になれると信じよう。