先だって。

岩崎宏美さんのラジオ番組におじゃまして。

 

クミコって年下だと思ってた。

だってレミゼラブルのとき、少年役やってたじゃない。

 

 

そうなのだった。

でも、私は宏美さんよりずっと年上なのだった。

 

 

そんなこんなで、笑い合いながら収録のおしゃべりが続く。

 

 

私はどうもとても失礼なところがあって、相手がこの世界で大先輩なのに、いわゆるタメ口をきいてしまうクセがある。

 

もちろん誰にでもではなく、なんとなく気の合いそうな相手だと、自分の勝手なセンサーで判断すると、そうなってしまう。

 

 

たいてい、このセンサーは合っているのだけど、時々間違うこともあって、そういう時は「あ、しまった」と後悔する。

 

 

で。

宏美さんの場合は、ずっとタメ口を許してもらっている。

ありがたい。

 

 

岩崎宏美という歌い手は確固としたところがあって、それは音程の確かさ、声のコントロールにも現れる。

 

なににも動ぜず、自分の音楽をきちんとキワメル、という感じがする。

 

ああ、やっぱり若くして時代を作れた人だなあ、と納得する。

 

 

そんな宏美さんだけど、あのレミゼラブルのファンテーヌ役ではかなり苦しい思いをしたという。

 

「夢破れて」という、あの名曲。

 

 

「あれ、地声で全部唄えちゃう人ばっかりだもんね、ミュージカルって」

 

上へ上へと伸びあがっていく音程、それをファルセット(裏声)にせずいきたい、そのあたりの闘いで相当に声を痛めたという。

 

私なんかとうに無理。

 

つまりのところ声域がミュージカルに向いていない。

 

宏美さんもそうだったのだろう。

 

 

でもそれは裏を返せば、その人だけの声を持っているということでもある。

 

 

張りのある、高音の伸びが称賛されることが多いけど、歌はそれだけではない。

 

 

無理のない豊かな響きや、耳をひそめるささやきや、そんないろんな声や唄い方があっていい。

 

 

様々な声が、様々な人と寄り添い、元気づけ、癒す。

 

 

それは、聴くだけでなく、唄う時も同じ。

「私、歌ヘタだから」

なんていう人がいるけど、それはない。

 

歌に上手い下手は存在しない、と思う。

 

百人いたら百人の、千人いたら千人の、たった一つの歌が存在する。

 

その人だけの歌が存在する。

 

一人一人の声から生まれる一人一人の歌。

 

 

唄うことは、この世に生まれることになってしまった人間への、神さまからのせめてもの贈り物だと、私は思う。

 

大変だよねえ、生まれることになっちゃって。

でもね、歌っていうギフトあげるよ。

これで、ちょっとは救われるかもね。

歌はきっと良い友達になるよ。

 

 

おおきに。

神さま。