私は女子高出身だ。

 

それが春日部女子高で、昨日は、その春日部にうかがった。

 

 

楽屋に入ると、あ、ここ覚えてる。

 

ちょうど東日本大震災後に、ここで唄ったのだった。

 

 

 

サイン会では、同じ女子高の同窓生もいらして。

 

「私、何年卒業です」

「私、同い年です」

 

 

そうですかあ。

と、手を握るたび、エール交換してる気持ちになる。

 

 

これは、別に学校がどうのこうのではなく。

われら中高年は、互いに励まし合って生きてるのだなあ、と思えてくる。

 

 

 

サイン会で涙が止まらなくなった女性がいらした。

 

ちょうどご主人を失くされて。

「あの歌そのままの状況でした」

と、おっしゃる。

 

 

最後だとわかっていたなら。

 

もっと、いろんなことをしてあげられたのに、ありがとうやごめんねをいえたのに。

そういうことだろうか。

 

 

こぼれていく涙に、かける言葉の虚しさに襲われる。

 

ああ、無力。

 

でも、歌が、ちょっとでも、この悲しみに寄り添えたのならうれしい。

 

止まらない涙に、ご本人も困惑されているのだけど、振り切るように顔を上げた時、また一粒の涙が落ちた。

 

 

涙が空中を落ちていくのを、私は初めて見た。

 

 

 

身を切るような涙。

 

悲しみをしぼったような涙。

 

 

 

 

泣くことで気持ちが、ちょっとでも楽になれたらいいですね。

と、声をかけようと思うのだが、それも言えない。

 

言葉はとことん無力だ。

 

 

 

 

歌があって良かった。

 

歌を唄うことができて良かった。

 

 

私でも、ちょっと誰かの役に立つことができる。