シャンソンの大先輩。古賀力(つとむ)さんが亡くなった。
数年前。「先生のオルガン」という歌を、古賀さんの歌詞で唄いたいと思った。
そのご挨拶に、まだ赤坂にあった「ブン」という古賀さんの店にうかがった時は、今思えば、もう古賀さんの晩年だった。
数度、倒れられたことで、カラダの機能の回復は難しそうだったが、歌は生き生きとしていた。
それから、だんだんにカラダは衰えていくのに、歌は、どこか天から降りてくるようだった。
右手を一生懸命に上下させ、リズムをとる。
その右手は、別のカラダのようでもあって、カラダからメトロノームが出ているようでもあった。
古賀さんは、大学教授のような人だった。
寡黙でシニカルで、いつも分厚い本を手にしている。
フランス語も堪能だったので、彼の店には、フランスからの有名歌手が沢山やってきた。
べコー、アズナブール、トレネだってやってきた。
ああ、こういう人が唄うことを許されるもの、それがシャンソンだと思った。
ずいぶんと遠く遥かなもののように思えた。
私のように、越路吹雪からシャンソンを知った者には、どこか後ろめたささえあった。
だから古賀さんに近づくことが、ずいぶんはばかられた。
こそこそこそこそしていた。
「先生のオルガン」を唄わせてください。
緊張した私に、古賀さんはゆっくりとした微笑みで頷かれた。
ドキドキした。
古賀さんは、ずっと「先生」のようだったなあ。
どこまでも「先生」のようだったなあ。
「先生」を前にすると、自分が劣等生に見える。
すべてを見透かされたような、バツのわるい気持ちがする。
それが「生徒」。
私は、ずっと生徒だったんだなあ。
生徒でしかなかったんだなあ。
先生は、ずっとカッコいいままではいない。
たとえ、どんな状態になっても、そのままを人に見せる。
恥ずかしい、なんて思わず、人生と闘い、唄う。
唄わずにはいられない。
先生というのは、そういうもんなんだろうなあ。
古賀さんも、そしてヒデキも。
「先生」だ。
歌い手のありかた、生き方を教えてくれる「先生」だ。
先生、ありがとうございました。