一年ぶりにシャンソニエで唄う。

 

あの泰明小学校の近く、銀座コリドー街にある老舗「蛙たち」。

 

 

新曲発表も兼ねて、日曜夜八時からの一時間という、どうみても迷惑だろうという時間なのに、たくさんの皆さまにお越しいただいた。

 

 

 

シャンソンを唄う店、これをシャンソニエという。

 

もちろんシャンソンだけではないけど、シャンソニエには独特の雰囲気がある。

 

 

目の前にお客さまがいて、それぞれのその日の感情と、歌い手のその日の感情が交錯する。

 

 

おそらくこのブログを見てくださって、私の家庭事情もなんとなくかんじておられるせいか、皆さまの声のない声が聞こえる気がする。

 

 

そんな中、唄いはじめ、だんだん見えてくるものがあった。

 

 

 

原点。

 

 

これが私の歌の原点かもしれないということ。

 

 

 

いろんな場所で唄ってきたけれど、そろそろ「原点」に帰ろうか。

 

 

 

 

新曲「最後だとわかっていたなら」

もともとの英語詩を日本語詩にされた佐川睦さんも、駆けつけてくださった。

 

 

お母さま、お姉さまを亡くされ、そのあと、知らず知らず受けていた「愛」を、お返ししたい、恩送りをしたい、という気持ちから携わったというお話に胸を打たれた。

 

 

 

苛酷な悲しみは、人に愛を気づかせる。

 

なんてことないさ、なんて思ってたことが、実はかけがえのないことだったりする。

 

 

 

この歌を、これから丁寧に唄っていこう。

それこそ、私自身の「恩送り」の気持ちで唄っていこう。

 

 

 

一人の手から次の一人の手へ。

あたたかい優しさの気持ちをつなげていくこと。

 

それが「恩送り」。

 

この世に生まれ、生き、死んでゆく私たちが永遠につながる。

それがきっと「恩送り」なのだろう。

 

 

 

 

英語では死ぬことをパスというんですよ、ダイじゃなくて。

佐川さんが教えてくださった。

 

そうか、死は終わりじゃなく、通過することか。

 

 

 

また深いことを教わった。