恩師、というのはなんか照れるが、恩人というのはいいだろう。
永六輔さんは、ずっと「旅」の人だった。
あっちこっちに行っていて、それも小さなカバン一つ。
どんな旅でも、大きな荷物はなかった。
それは旅先で、下着を洗濯していたからで、バスルームで洗った下着をバスタオルに包み、床に置いて、そこ目がけベッドから飛び降りる、
そうして水分の抜けた下着を、部屋にかけて乾かす。
おそらく、下着だけじゃなく、シャツやもしかしたら上着もそうだったかもしれない。
だから、藍染めの服を愛用されていたのかもしれない。
なんでこんなこと思い出したかというと。
大杉漣さんが急逝されたのが、旅先だったこと。
この寒さの中、ロケをしての帰り。
若い頃ならいざしらず、66才の大杉さんのことを思うと、他人事ではないなあと思った。
私などでさえ、この頃は「旅」が、かなり苦手になってきてしまった。
若い頃は、ああどっかいける、気分転換なんてうきうきしていたけど、今は体調を崩さないようにすることだけで精一杯のありさまだ。
「旅先」の大杉さんのもとに向かう奥さまのことを思うと、言葉がない。
「おかえりなさい」をどんなに待ち望んでいたことか。
これとて他人事ではない。
「歌縁」のバンドマスターでもある高田漣さんの「漣」が大杉さんの芸名であると知った。
高田さんのお父さん、渡さんに使わせてほしいとお願いされたという。
漣。さざなみ。
なんて綺麗な名前なんだろう。
さらさらと寄せて返して、大杉さんは天国へ旅立ってしまった。