子育てのおかあさんをテーマにした歌の歌詞が議論をよんでいて。
いわゆる「炎上」というやつ。
おかあさんになったから、爪も切ったし、朝早く起きるし、夜遊びもしないし。とかそんな「自己犠牲的」歌詞が、問題になってる。
歌詞というものは、こんなに影響のあるものなのだなあ。
と思ってたら、夜、テレビで昔のヒット曲を聴いた。
「わたしがおばさんになっても~」と唄われる歌。
この歌、それこそバブルの頃の歌で、当時通っていたスポーツジムのフロアにBGMとして流れてきたときは、聞き間違いかと思った。
その頃は、まだまだオバサンといわれるには早いような私だったが、カチンときた。
なんなのこの歌。
でも、この歌はヒットして、巷に流れた。
で。今、改めて聴いてみると。
すごい。
サイパンに行って楽しかったわ。
でもあなたは、私がおばさんになっても連れてってくれるのかしら。
あなたは若い子が好きだから。
なんちゅう言葉が並んでいる。
今だったら確実に「炎上」じゃないかなあと思う。
時代は言葉を選ぶ。
最近。
「東京ららばい」を唄う機会があった。
これまたバブリーな時代の歌だけど。
松本さんの詞は、時代の光と影を映す。
それは、そこで生きるニンゲンの光と影だ。
だから、古くならない。
だから~死ねまで~ないものねだりの子守唄~
中原理恵さんは、いまどうされているのかなあ。
彼女のお化粧とか髪型とか、真似したなあ。
真似しても、ぜんぜん違ってがっかりしたなあ。
ああ、懐かしい。
おばさんになっても、懐かしい。