起きてテレビをつけたら、また不倫騒動などといっている。
もう、いい加減こういう話題、やめてほしいなあ、こんなの他人がどうこういう問題じゃないよ、とチャンネルを変えようとしたら。
出てきた女優さんが、すっぴんのような顔でぐしゃぐしゃに泣いている。
あらま、と見ていたら。
「守ってもらわないと生きていけません」などと言う。
聞き違いかと思った。
この人は女優さんなのだ。
だれかに守ってもらうとかもらわないとか、そんなこと言うことにまず驚き桃の木。
だいたい、この世界に、誰かに守り守られる、なんていう構図があるのか。
みいいんな必死で生きている。
子供じゃないのだ、大人なのだ。
大人は子供や老人を守るけど、それだけで十分で、それ以外の大人同士は、みんな一生懸命それぞれが生きているのだ。
何だろこの人、と思っていたら、この夫という人が登場し。
「僕が守ります」
はいはい、わかりました。もう勝手にしてください。
だからこういった不倫騒動なんてのは、見るもんじゃない、聞くもんじゃない。
とはいえ。この夫、いいことを言った。
妻が歌を唄っているが、ひとさまからお金をとれるようなものじゃないと思う。
そう思って、彼女の歌手活動を応援しないのだということらしい。
おそらくものすごく正しい。
だいたい、守ってもらえないと生きていけない、などと言える人間に、歌い手も俳優もできない。
廃業したほうが良いと思う。
それと「恋」なら「恋」、「欲情」なら「欲情」。
まあ、恋というのは欲情から発するものだと私は思うけど、それでもいい、きちんと苦悩して、向かい合うべきものだ。
それこそ、明治の頃の女性たちのように、名家も夫も捨てて「恋」を貫き通した先人に恥ずかしい。
(「花子とアン」で、仲間さんが感動的に演じておられた柳原白蓮とか)
ばれたからただ泣く、守ってほしいなんていうのは、まったく失礼だと思う。
「恋」に失礼だと思う。
とまあ、昨日は、久々に怒ってしまった私でした。