弁当や総菜のチェーン店で、鮭の塩焼きを買う。

 

それをレジに持っていく。

 

ぴぴぴ。とレジ係りのおばさんが、あの確認コードを判読する機械を当てるが。

 

 

「あら、これダメだわ」

 

「えっ」

 

 

もう一回、ぴぴぴ。

 

 

「スミマセン、これもう期限切れになっちゃってて」

 

 

つまり、売っていい時間を過ぎていたということだ。

 

 

「あ、いいですよ別にそれで」

と思わず言ってしまうが、レジ係おばさんのちょっと困った顔を見て。

「そうはいかないんですよね」と言い添える。

 

 

こうして新しい(とはいってもなんら見た目は変わらない)鮭が出てきた。

 

 

商品管理というのは、こんなふうに厳しいものなのだ。

 

 

 

 

そうはいっても。以前。

 

大阪で、こうした店で鮭弁を買った時の事。

 

 

 

ホテルの部屋に帰って蓋を開けたら、鮭がなかった。

 

鮭のない鮭弁は初めてだ。

 

 

 

その店は、ご飯を選べるシステムで、白米じゃなく雑穀米にして下さいウンヌンをいっていたので、店員のおばちゃんの頭から、肝心の鮭がどっかヘすっ飛んで行ったらしい。

 

 

もう一回、その店に戻る気力はなく、鮭のない鮭弁というのも、まあいいかと食した。

 

 

 

管理されたシステムを持っていても、現場は生身の人間なので、時々、こうした笑っちゃうことも起きる。

 

 

時間切れの鮭だって、ぴぴぴと鳴らなきゃ、そのまま販売されていた。

 

 

ていうか、鮭の塩焼きに時間切れなんてあるのかいな、と思う私は、やっぱり昭和のニンゲンなのだと思う。

 

なんだって食えちゃうよ、と思う。

 

 

それこそ、ご飯茶碗のお米一粒を、「お百姓さんが一生懸命作ったんだから残しちゃダメだ」と、親にきびしく言われた世代だ。

 

 

世の中には食べたくても食べられない人もいるんだから、とも言われた世代だ。

 

 

でも、食べたくても食べられない人は、今でもたくさんいる。

世界中にいる。

 

 

時間切れ鮭が、だから、今でもなんだか惜しい気がする。

もったいない気がする。