「クミコ」になる前、もう歌なんかやめるんだと思い。

バーのママをやった。

 

それが「ZAKKA BAR」。雑貨バーだ。

 

 

ファンの母娘が昼間定食などやっている店を夜借り。

店中に雑貨があふれていたのでそんな名前を付けて、はじめた店だった。

 

バーのママが向いていたら、もう歌い手はやめよう。

 

そう思っていたのに、まったく向いていなかった。

 

 

 

酒は好きだが、客は好きじゃない。

こんな店に人などこない。

 

後ろの棚にあるカクテル材料のリキュールを自身で飲み尽くし、店をやめた。

 

コワントローなんてリキュールを見ると、今でも、その時のことを思い出す。

 

 

 

 

その店が開店25年を迎えるという。

 

母娘は、今でもそこでご飯やをやっている。

ピアノがあるので、貸出ライブもしているらしい。

 

 

それは目出度い。

 

 

 

で。

お祝いライブをした。

 

どんなお客さまが来るか、まったくわからない。

 

 

始まってみると、ずいぶんと久しぶりのメンツもそろい、再会を喜びあった。

 

年月のなんと早いこと。

 

 

 

 

この店の奥の座席に松本隆さんが座り、そこで「情熱」を唄ったのは、もう18年も昔のこと。

 

そこで松本さんが私に詞を書くと言ってくださったのだった。

 

 

 

そう思えば、ラッキーな店だ。

 

 

 

走馬燈かあ。

まさしく走馬燈だなあ。年月は。

 

 

バリバリで働いていた客人も定年になり、母娘は76才と52才だという。

 

ああ、おったまげた。

 

 

 

でも。

 

外の「ZAKKA BAR」のイルミネーションは変わらず光っている。

 

横浜の場末みたいな色で、光っている。

 

 

 

でも、どう読めば「ZAKKA BAR」なのか、よくわからない。

 

そのあたりのいい加減さも、今となっては私にふさわしい。