「ダーウィンが来た!」を見るといつも思う。
ああ、ニンゲンなんてほんとにちっぽけだなあ。
昨日は、猫だった。
オスの野良猫がどんな日々をおくっているのか。
それがどんなに苛酷なものなのか。
ああ。野良猫。
飼い猫が14,5年生きるのに、野良猫はせいぜい5年だという。
オスの野良猫は、近親交配をさけるため、群れになれない。生まれた場所にいられない。
自分の居場所をさがしに旅に出ねばならない。そういう本能。
ああ、なんちゅう人生、いや猫生。
そして、限られた時間の中で子孫を残さねばならない。
それも、他のオスと闘って、勝った者だけがその権利を持つ。
ああ、なんちゅう猫生。
この夏、ほったらかしたベランダの日よけシートに、丸々と寝そべるデカいオス猫ボス(勝手に名付けました)と出会った。
このボスのことは、これまでも書いたことがあるけど、その背中や耳の傷は、彼のこれまでの闘いの歴史なのだった。
「限られた時間」
生き物として限られた時間というのは、子孫を残せる生体としての時間だ。
それが終われば、もう用済みなのだ。
ボスはあと、どのくらいの時間があるんだろう。
そうえいば、ボスが独占してた物置の屋根に、最近違うオスが現れた。
いや、ボスの前には、これまた違うトラ猫がいた。
ごくたまに、二匹が鉢合わせすることがあって、絶妙な位置を保ちながら、やがてずりずりと片方がいなくなる。
世代交代。
そういうことなんだろうなあ。
ボス。お前どこにいったのか。
そろそろ時間切れか。
なんか切ないなあ。
おそらく人の手に撫でられることなく、撫でられたいとも思わず、自分の食い物は自分で見つけ。
そうやってあんなにデカくなって、かなりモテもしたんだろうなあ。
そんでもって、きっとまたどっかヘ行って、そこでコトンと死んじまうんだろうなあ。ボロキレみたいに。
誰にもそのカラダを見つけられることなく、うまく自然に帰れるといいなあ。
そのためにも、猫の死に場所、いや、他の自然の生き物の帰れる場所があってほしいなあ。
草や木や土がある場所が、あってほしいなあ。
猫が一匹で、ただそこにいる。
そういうとき、胸が熱くなる。
あまりに孤高で、アタマを下げたくなる。
だから猫には触らない。
いや、触れない。
でも、これが私の猫へのマナーだ。
ちっぽけなニンゲンの私の、ちっぽけなマナーだ。