父親が「天声人語」を書き写している。

 

もともとこれように作られた原稿用紙があって、それを友人が買ってきてくれた。

 

 

彼女の勤める介護施設でも、使っているらしい。

 

 

升目に合わせて、一字一字書き写していく。

 

難しい漢字もあるし、だいたい原稿用紙を書きなれていない人には、カッコや点で一つの升目を使うことなど、覚えることがたくさんある。

 

 

 

左から右へ。

 

 

衰えつつある脳機能に、刺激をあたえているのだろう。

 

 

一生懸命な父の横で、同じ小さい船を漕ぐように、立ったり座ったりしていると、小さい頃の同じ状況を思い出す。

 

 

 

とにかく算数が苦手な子供だった私に、父親が横で教える。

 

決して教え方がうまかったわけではない。

 

 

うまかったら、もうちょっと算数が好きになってたはずだ。

 

 

でも、横にいる父親の存在は、大きかった。

うざかったけど、うれしかった。

 

 

 

 

で。今。

 

その立ち位置はひっくり返って。

 

「ううん、これはムズカシイ漢字だね」とか。

 

「ここは一つ開けないとね」とか。

 

「どんどんいい字になってるね」とか。

 

 

気づくと一時間も経ってる。

 

 

 

 

寄り添ってるほうが、けっこうヘトヘトになってることを、父親は気づいて、気遣っているらしい。

 

 

 

「一人でできるよ」

 

 

昨日あたりは、そうやって黙々と左から右へと首が動く。

 

 

 

長い道だ。

 

長い道だから、寄り添ったり、離れたり、程よい加減で歩いていかんとな、と思う。

 

 

どっちも息切れしないよう、良い加減で、歩いていく。

 

 

 

 

 

でも。

 

父親に寄り添っていると、これまで感じたことのない想いに気づく。

 

甘いような、悲しいような、切ないような。

 

 

 

この頃は母親にも、そんな想いを抱く。

 

 

 

急に、動物の親子になったような気持がする。

 

 

子パンダを愛しんで抱く親パンダみたいな気持ちがする。

 

 

どっちが子だか親だか、もうわけがわからないのが、いい。