掃除をしていたら、ふにゃふにゃとしたものが落ちている。
「こんなの落ちてたよ」
と母親にいうと。
「折鶴の折り方わかんなくなっちゃた」
という。
包装紙のきれいなのとか、ちょっとした紙だとか、そんなのがあると母親は、折鶴を折っていた。
それが折れなくなったという。
それで、前に折った鶴を解体して確かめようとした、それがふにゃふにゃの物体だった。
「それって、まずいんじゃない、ボケちゃったのかなあ」
と、母親の明るいものいいに連られて軽く言ってみる。
「ううん、へんよねえ」
母親も笑っている。
スマホで、折り方を探して、二人でやってみるが、なんたって画面が小さい。
私は、子供のころから折鶴が折れない。
それが、「INORI」を唄う時、一生懸命折った。
一生分折った。
だけど、もう忘れた。
子供の時の記憶じゃないものは、こんなふうに、すぐにどっかヘ行ってしまう。
でも、母親はずううっと折っていた。
子供のころから折っていた。
きれいにきちきちとして、アタマとしっぽがピンと立った鶴だった。
折り紙買ってくるからさ、折り方の本もね。
自分の部屋に帰る途中、地下鉄の入り口で、買い物カートを持ったオバアサンを見つけた。
片手にカートを持って、片手で手すりにぶら下がるように、階段を下りている。
「持ちましょう」と言って、一緒にホームに降りる。
「わたしにも母がおりますので」と、アリガトウを繰り返すその人に言う。
降りた駅の階段を上がっていると、またカートを持ったオバアサンがいる。
でも、もうすぐ上り切るところだった。
もっと早く会っていたら、お手伝いできた。
ああ。
ここにも、あそこにも、母親がいる。
世の中じゅう、母さんだらけだ。
部屋に戻って、涙が止まらなくなった。