昨日は失礼いたしました。

 

 

人間、生きてりゃ、好不調なんてのは交互にくるわけで。

 

そんなの当り前のことでした。

 

 

 

それを今はやりの「睡眠負債」なんて言葉を使ってしまって、そのことのほうが自分でがっくり。

 

 

きほん、私、こういったもの信用してないタチなのでした。

 

 

だいたいがテレビでどうだこうだいってる健康番組モノ。

 

あれは脅しです。

 

 

 

その中でも、延々と続いているあの番組。

 

司会者の噺家さんと女性アナウンサーが好きで、つい見てしまうこともありますが、これまでどれほど後悔したことでしょう。

 

見終わったあと、あれ、これってどういうこと、とか、あの実験の意味って結局なんだったの、とか。

 

冷静になると、そんな疑問が残ることが多い。

 

 

それは、この番組の前身のナントカいう番組からの伝統でした。

 

 

 

人はだれでも、ナニカシラの不安を抱えています。

 

若くても、老いたらなおさら。

 

 

だから、はじめから「聞く耳」をダンボのように持っています。

 

 

あ、私こうかもしれない、とか、やっぱりこれが原因かもとか。

あれこれ見つけては、逆に安心します。

 

 

でも、その安心は、心のどこかに根をはってしまうものもあって。

 

 

なにかの拍子に、むくむくと不安が頭をもたげます。

 

 

 

 

ああ、ばかばかしい。

 

 

 

 

だいたいが、睡眠負債ってなんだよ、て感じです。

 

んなもん、ねえよ、って感じです。

 

 

 

あると思う人にある、知らない人にはない。

 

 

そういう程度のもんです。

 

 

 

 

 

世界報道写真展の一枚の写真。

 

シリアのアレッポで、赤ちゃんを手に抱え、壊滅した瓦礫だらけの街を足早に歩くお父さん。

 

この写真を撮った人も、撮られた人も、ただ「今」を生きている。

一生懸命生きている。

 

 

そうでした、「今」だけを見て、命をつないでいる人は、この世の中にごまんといるのでした。

 

 

 

 

しっかりしろよ、私!!