あれ。またここに。
ついこの前まで、一日一枚着ていたシャツが、そこここにある。
父親の開襟シャツ。
外にお使いに出るときに着て、帰ると脱いでるシャツ。
それがあっちこっちに置いてある。
そういえば、このところ、洗濯量が増している。
老人の洗濯量とはいえない量になってきている。
手あたり次第に着ちゃったんじゃないかと思える、父親の洗濯もの。
だんだんうんざりしてきた。
昨日は、そんなこともあって。
「ねえ、ここに二枚かかってるよ。だから新しいの着るとき、引き出し開ける前、ちょっと周りを見て確かめてから着てね」
こんなこと、大したことじゃあない、なかったはずだった。
「あ、ごめんごめん」で済んだようなものだった。
ついこの前までは。
「え、なんだ、どうしろっていうんだ」
父親の顔が険しくなる。
そうか、父親にはもうこういう論理さえわからないのか。
一生懸命説明するが、砂に棒をたてるような虚しさ。
そのうち混乱してきた父親の声が大きくなる。
こっちもつい大きくなる。
ああ、ああ、いかんいかん、こんな声だしちゃ。
これからレコーディングなんだ。
冨田さんのスタジオに向かう途中、喫茶店で心を静めた。
そうなんだ、今の父親はこのへんまできてるってことなんだ。
父親の老化のレベルが、こうしてちょっとしたことごとで確かめられる。
悔しいし、悲しいけど、しかたがない。
どうしようかなあ。
また考える。
いろんな方法を考える。
でもそのどれもに、ちゃぶ台をひっくり返して、それをまた元通りにするような。
そんな果てしない疲れを感じる。
だって、もう私63才になるんだしさ。
疲れちゃうよなあ。
レコーディング、歌のタイトルが「しゃくり泣き」。
これで最後の歌入れだ。
「声にならない しゃくりなきー」
心を込めて唄う。
なんだか、泣きそうになった。