歌を唄う。

 

コンサートで、おしゃべりをしながら唄う。

 

 

これって、犬がお腹を見せてひっくり返ることに似てるなあ、と昨日思った。

 

 

 

 

札幌コンサートの前。

降りている緞帳の前に立つと、客席がしいいんとしている。

 

 

一人でこられているお客さまが多いということだ。

 

あるいは、二人とかの少人数。

 

仲間で来られている方が多い時は、はじまる直前まで、にぎやかな声がする。

 

 

 

しいいんとした空気に、背筋を伸ばし、でも、出せるのは、この私のことだけだからと思う。

 

 

もうすぐ63才になる、うすっぺらいカラダをして、髪がもっと短くなって、東京に老親二人のいる、この私というニンゲン、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

 

 

二部のはじまり。

客席から登場することにした。

 

 

お客さまの顔が目に入る。

 

 

あ、みんな私とおんなじだ、と思う。

 

きっと、おんなじような時代を生き、あるいは、おんなじような状況を持つ、はたまた、おんなじようなことに心を震わせる。

 

そんな顔たちが見えた。

 

 

 

 

こういう人たちに、飾り言葉は通じない。

 

 

今のままの自分のことを、思ってることを話し、歌う。

 

 

 

もうちょっと、スマートにできないものかと思う。

 

でもいいや、とも思う。

 

 

 

 

空港に向かう車の中で、今日は、ずいぶんをお腹をみせてひっくり返ったなあと思った。

 

 

お客さまの熱い想いやら、握った手やら、いろんなことを思い出し、もうちょっとがんばって唄っていこうと思った。

 

 

もっともっとお腹みせてひっくりかえりながら、唄っていこうと思った。

 

 

 

くっきりと緑のうつくしい札幌、ありがとう。

皆さま、ありがとう。