福山での一日。
いつもお世話になっている僧侶でもある藤井さんが、毎年開催されている「第九」の合唱会。
秋川雅史さんと、池田理代子さんがいつも出演されているのは知っていた。
そこへ、なぜか、私も参加。
二部のポピュラーソングの部、今年は美空ひばり特集ということで。
秋川さんとは、久しぶり。
久しぶりなぶん、会わない間の変化がわかる。
秋川さんは、ほっそりと、そしてより純な感じがした。
そんな言い方も失礼かなとは思うけど、「千の風になって」以前からお知り合いだったこともあって、それからの変化だったりも、なんとなく見てきた。
いろいろとタイヘンなことも多かったのではと思う。
今の秋川さんはクラシック音楽への想いが、その青年時代とおそらく同じような熱量で、心を占めて躍らせているのだろうなあと思った。
打ちあげで、乾杯すると、秋川さんのグラスは緑色をしている。
「それ、なんですか」
「緑茶なんです」
お酒は、十年まえに止めたという。
「それでも年に二回ほど飲みます」
その一回は、地元愛媛の西条のお祭りで。
もともと男気のある秋川さんが、みこしを担いで、そこで四国の男たちと酒を酌み交わす様が浮かんでくる。
レストランでの打ち上げを終え、場所をバーに移して、数人での集まりに。
池田さんのご主人も、秋川さんも、そして藤井さんの長女泰子さんはご主人がイタリア人でイタリアと日本を行ったり来たりのソプラノ歌手。
全員、イタリアとは深い縁がある。
「イタリア人て、みんな歌うまいんでしょ」と言うと。
全員が。
「下手です。オンチです」の答え。
えええええっ!?
イタリア男は誰でも、オーソレミオとカンツォーネや、アリアが歌えちゃうとどこかで聞いてきた私はびっくり。
「今、だあれもそんなもん唄えませんよ」
クラシックの発声じたいを、まったく知らない子供も多いという。
「そういうの聴くと、はじめあんぐり口あけて、やがて笑い出すんです」
だって、イタリアって、文化の中心で音楽だってそうだったじゃないですか。
「いいえ、今はみんなアメリカ音楽なんですよ」
「・・・」
でも、声はいいですよねイタリア人て。というと。
「そうですね、携帯の話声とかものすごく良い声です。満員のバスなんか乗ると、その人の全人生がわかっちゃうくらいみんな大声で話してますよ」
「・・・」
「彼らの人生は、サッカーですから」
「・・・」
「あのベルルスコーニ(女たらしの大統領だった人)が、大富豪でしたらから、テレビ番組も買っちゃって、そこでそれまでのイタリアを変えちゃいました。二十年ですっかり」
「・・・」
「イタリアの文化の素晴らしさなんて、すっかりわからなくなっちゃったんですね」
でも、それって、イタリア人がバカになっちゃったみたいなことじゃないですか。
「ええ、国民はバカにさせたほうがいいでしょ、政治家は」
「・・・」
「今は、彼らはフランスで流行ったものを良しとして自分たちが後を追ってますよ」
「・・・」
「・・・」
オペラを愛し、イタリアを愛し、そして今、複雑な思いを持たざるを得ない皆さんの顔を見ながら、ああ、良き時代は過ぎぬなのだろうかと、シャンソンの一節みたいな言葉を思った。
美しいメロディー、美しい言葉。
踊らなくてもいい歌。
耳を傾け、心を寄せる歌。
そんなもん、もうなくなるんだろうか、全世界的に。
唄うより踊る。
それが音楽というものになっていくんだろうか。
「・・・」
長生きしないようにしよう。
そんなこと思っちゃったのだ。