人は年をとる。
もちろん歌い手も年をとる。
なんでもかんでも衰える。
もちろん声も衰える。
でも。
崩れない人がいる。
崩れないで、きちんと歌を唄う人がいる。
そういう先輩を見ると、光が見える。
希望が見える。
昨日、「希望」という歌を唄った。
これまでこの歌はそんなに好きな歌ではなかった。
なんだか説教臭い歌のように思っていた。
唄うことが決まってから岸洋子さんの映像を見た。
若いころ、そして闘病をされているころ、さまざまな岸さんの「希望」を聞いた。
声が思うようにでなくなったであろう頃の「希望」も聞いた。
低いキーから始まり、あ、やっぱりなあなんて思ってたら、最後のコーラスで、一気に転調し、歌い上げた。
唄い上げる。という表現は正しくない。
そういうことじゃなくて、歌が空へ飛んだ。
岸洋子という歌い手のココロが空へ飛んだ。
カラダは病み疲れても、ココロは自由だ。
そうでなければならぬ、そういう岸さんの意志が、空へ飛んだ。
ああ。すばらしい。
私はこんな歌い手になれるだろうか。
「希望」を歌わせていただいのは由紀さおりさんの番組だった。
由紀さんもまた「希望」の人だ。
年を重ねても、きっちりと「歌い手」であることを示してくれる。
声のコントロール、歌への執着、どれも歌い手として現役であり続けることの絶対条件。
尊敬する先輩たちは、こうしてそのままで、後輩に「希望」を示してくれる。
希望はパンだ。
パン食い競争のパンだ。
目の前にぶら下がっていてくれないと走れない。
希望という名のパン。
こりゃあ一生もんです。
一生食べきれないパンです。