自律神経失調症で死んだ人はいないという。
なので、もうどうでもいいのだ。
気にしないのだ。
と、バカボンのパパみたいに言い切るのだ。
やるべきことは、必ずあるし、容赦してくれないし。
そんなもんに惑わされり、疲れたりしているヒマはないのだ。
うん、疲れてるヒマがない、というのはいいな。
など、もうどうでもいいです的朝。
来週収録せねばならない歌が二曲あって。
その一つ「たそがれマイラブ」。
リアルタイムで聞いてきた歌で、好きな歌でもある。
たしかピアノ弾き語りの仕事でも適当に唄ってたはず。
それがまずかった。
適当のうろ覚えほど、こわいものはない。
自己流の唄いまわしが染みついている。
若い時に染みついたものだけに、なかなか落ちない。
オリジナル音源を頼りに、修正をするが、これがなかなかむずかしい。
なかなか落ちない。
大橋純子さんの映像も見る。
昔のもの、最近のもの。
最近のものは、キーがちょっと違っているが、唄いまわしが変わっていない。
これはすごいことだ。
どんな歌い手も、ずううっと唄っているうち、必ず唄いまわしは変わってくる。
言葉をちょっとずらしたり、たいてい、うしろに「ためる」ことが多い。
そうなると、歌は変化する。
伸びたパンツみたいな歌になる。
もちろん。どの歌も最初の通りというのが絶対的に良いというのではない。
歌い手の変化とともに、ニュアンスは変わってくるのは当然だし。
でも、歌の劣化は避けねばならない。
それは歌い手の劣化ということだから。
そこいくと。
大橋さんは素晴らしかった。
ご自身の人生の歩みの深さを感じさせながら、歌そのものの譜割りは変えていない。
うううむ。
うなった。
まあ、とりあえず練習しよう。
大橋さんの誇り高い姿を念頭に、私にできる歌を唄おう。
「たそがれマイラブ」かあ。
なんだか、この年にはいっそう「沁みる」タイトルでありますことよ。