ああ、困った。困った。
見終わったとき、すぐ思った。
みんながこんなに絶賛してて、しかも日本アカデミーで賞までもらっている。
それなのに。私ときたら。
ずううっと見たい、見なければと思っていた「この世界の片隅に」。
これを、やっと見に行くことができた。
ところが。
どうもこの映画の中に溶け込んでいけない自分がいる。
なぜなんだろう、なぜなんだろう。
もともとアニメ映画は得意ではない。
それでも、社会現象にもなるようなものは見ておきたい。
今、どんな社会なのか、どんな日本なのか、それが手っ取り早くわかると思うから。
最後に見たのは「風立ちぬ」だった。
やっぱりスゴイなあと思った。
アニメでしかできないことがある、アニメだからできることがある。と納得した。
で。
今回。
もう感動するつもりまんまんな私なのだった。
だって、広島の話だし、絵自体もその素朴さがかなり好みの感じだし。
なのに。
なんだって、うまく感情が入っていかないんだ私。
良かった、感動した、というものはそのままでいい。
他人がどういおうと、そのままでいい。
でも、わからないと思うもの、しかもほとんどの人が良いといってるらしいのに、それに加われなかったときは、考えるしかない。
ずううっと考えた。
帰り道でも、お風呂でも、寝てからも。
で、朝。
これは一つの要因かもと思ったこと。
それは、映画館がデカすぎたこと。
新宿ピカデリーという複数の映画をやっている映画館の中の、一番大きいシアター。
昨日は、そこでの上映になっていた。
ほんらい、こういうしみじみした映画を見る場所ではなかったのだろう。
爆弾の音のすさまじさは、まさしく実体験ぽいといえないこともないけど、このサラウンド効果は、主役すずさんの声を損なってしまう。
すずさんの声、のんさん。
この類まれななんともいえない声は、こちらがもしかして耳をすませるべき声なのではないだろうか。
じっさい、なんども耳をすませたいと思った。
この深くて美しくて、独特の間合いを持つ声。
こういう声は耳をすませてしっかり手にとる声なのじゃあないかなあ、そう思ったのだった。
そこから考えていくと。
そうだ、この作品そのものが耳をすませる映画なのかもしれないと思った。
油絵じゃなくて、水彩画。
小説じゃなくて、詩。
これはそういう作品なのだと思う。
だから。
「この世界の片隅に私をみつけてくれてありがとう」というすずさんの言葉は、もしかしたら、映りの悪いビデオ画面に目をこらして受けとったとき、心の真ん中にまっすぐに届くのかもしれない。
言い方が悪いかもしれない、語弊があるかもしれないけど。
この映画は、良くも悪くも「素人」の作品なのだと思う。
ジブリのような「玄人」の作品とは違う。
何度もいうけど、「素人」が悪い、稚拙というのでなくて。
だからこそよけい、見せるべき場所、見る場所を選ぶのだろうなあと思う。
なにいってんだ、どこでだってヒットしてるよ、という声が聞こえそうだけど、ここはまあクミコおばさんの老婆心的意見としてカンベンください。
それにしても。
近頃の映画館は、デカいなあキレイだなあ。
ネット予約もできるし、ドリンクメニューも充実してるし。
でも、やっぱり、映画館はふらっと行って、あの分厚いドアの向こうから聞こえてくるセリフにココロときめかせ、こっそり入っていく、そんなのがいいなあ。
あ、これまったく「昭和」ですな。
ニューシネマパラダイスですなあ。
でもね、今回はじめてなことが。
胸張っていいました、私。
「シニア一枚!」