オリジナル曲を、どなたかにお願いすると。
そのデモテープを作曲者ご本人が、唄ってくださる場合が多い。
秦さんもそうだった。
そして、昨日、また素晴らしい歌が届いた。
まだ、お名前は言えないのだが、そのエッジのきいた唄い方は、そりゃあ誰だってしびれちゃうよ、思う。
ただ、秦さんもそうだが、作曲者が歌い手として素晴らしいと、それだけハードルが高くなる気はする。
ご本人が、ご本人の作った歌の一番ふさわしい表現者だと思えてしまうからだ。
でも。きっと。
それを越える歌っていうのがあるんだと思う。
他の人が唄ってもそれぞれに素晴らしいと思える歌。
誰でもが、一番素晴らしい歌い手になれる歌。
カラオケで、どんな誰かが唄っても、もしかしたら、それが世の中で一番ステキだと思わせるような歌。
それこそがスタンダード作品なのだろうなあ。
だから。
ひるむことなく、いただいた作品を唄おう。
うきうきと唄おう。
一昨日。
Eテレの「ミュージックポートレイト」で、松本さんが「鳥の歌」を最後に挙げてくださった。
詞はもちろん松本さんだが、チェルノブイリ博物館での、井上鑑さんと金子飛鳥さんと一緒の映像に、あれからまだ一年もたっていないことを思った。
博物館の天井。白い光で形作られた輝く世界地図。
でも、その所々に見える赤い小さな電球の光。
それが放射能事故の起きた場所。
「鳥はいつか天の園へ誘われていく」
すばらしい言葉やすばらしいメロディーは、時空を超えていく。
歌い手なんていうちっちゃい者を、歌は超えていく。
だから、そのちっちゃい歌い手は、一つの歌に引っ掻き傷くらい残したいと、身もだえする。
私らしい歌を残したいと苦しむ。
これから、しばらく歌たちとの闘いが続く。
幸せな闘いが続く。