同じことを何度も聞く。確かめる。
気になることが頭を離れない。
本人が一番シンドイだろうなあと思う。
でも、まわりのニンゲンもまたシンドイ。
つい声に力が入ってしまっている。
「だからね、もう大丈夫なの、ここにね、書いてあるから」
と、カレンダーを示す。
でも、また少し時間が経つと「あれ、どうしたっけ」。
「大丈夫だから、もう忘れていいから」
と、説得になってるんだかなってないんだかわかんない説得をする。
ああ。声にケンがあるよな、私。
と、反省する。
もっと穏やかな声が良いだろうと思う。
そんなふうに、モノの本にも書いてあるだろう。
でもね。
こっちも生身の生き物だからなあ。
と、これまたこういう親を持った子供が、誰でも思うことを思う。
こうして毎日の葛藤が続く。
今年初めか。
「こんな日が来るとはなあ」と玄関先で父親がつぶやいた。
まさか、自分にこんな日が来るとは思わなかった。ということだ。
あんまり切ないので、聞かないふりをした。
でも言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ぜんぜんだいじょうぶ」
そして、今でも。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。と言い続けている。
思い続けている。